2017年8月25日

醜い景色

小池都知事が進める「無電柱化」を推進するために、「綺麗な景色、醜い景色を撮影して送る」みたいな事を自身のtwitterで呼びかけたらしい。まぁ、好意的に解釈すれば無電柱化すればこれだけスッキリしますよ、綺麗な空が見えますよ、だから今困っている光景・場所を教えてください、という意味合いだとは思うけれど、言い方が悪いよね。先ず、電柱がある光景を「醜い景色」って言っちゃうところに、なんとなくこの人の政治姿勢以前の人としての考え方が敗まみえる気がする。せめて言うなら「ごちゃごちゃしている場所」とか「更新した方が良いと感じる景色」位でしょう。実際、求めているのは電柱を地中に埋めることで、これだけスッキリしますよ、と言う事を遡及したいわけだから。さらに言えば、「綺麗な景色」というのも語弊があるのでは。ここでも言いたいのは、多分無電柱化した場所のスッキリした景色を送って欲しいと言う事だと思うけれど、景色とか光景っていうのは別に電柱の有無で決まるわけじゃ無い。電柱が無くなっても、ごちゃごちゃした看板とか電飾が残れば、それは「醜い景色」と思う人はまだいるかもしれないし、逆に「綺麗な景色」を高さもデザインも揃ったビルや家屋が並ぶ光景と思う人なら、新宿の高層ビル街を「醜い景色」と思って送るかもしれない。

以前も別の場所で無電柱化の話が出ていた時に個人的に感じていたのは、海外では景観問題がとか言う話が一番されていたように感じたこと。地震が発生した時に、地中にあったら修復とか大変じゃ無いのかというのが、多分先ずは考えることだと思うのに。その後聞いた話では、使用するパイプが上部なので、なまじ地中化した方が自身に対しては安全という話も聞いたので、本当ならそういう点をもっと言うべきだと思うんですよね。さらに、そうであっても、以前も有ったチケかケーブルの火災事故では大きな被害が出たわけで、あれだって地上にあればもっと速く対策出来ただろうし、復旧も早かったはず。景観問題も大切かもしれないけれど、本来の機能である送電データ通信機能がどれだけ確保されて万一の場合もどれだけ素早くリカバリー出来るか、その優劣をちゃんと示すべきだと思うんですけどねぇ。

「景観」に関してのみ言うと、都内のように電柱よりも高い建物がそこかしこにあるような場所だと、確かにそれよりも低い場所にある電柱の類は目障りに感じるだろうし不安も感じると思う。でも、周りを見渡しても電柱が一番高い人工物であるような、自宅の周りなどを見ると、これは別にこのまま残っても違和感も無いし不自然さも感じない。何かこの知事の発言は、最近よく見かける、問題の本質では無く、その周りに派生する極々小さな細かなことを針小棒大に取り上げて騒ぎにする、一連の騒動と同じような匂いを感じるなぁ...

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