2017年6月22日

世間が理解しない仕組み

国会終了後もまだまだ続く「加計学園問題」。理由は分からないけれど、今朝のニュースなんかでも、何故か自由党の「あの」森裕子議員とか山本太郎議員が、内閣府とかの役人を前にヤクザも真っ青な脅し口調で詰問している不愉快な場面が流れていたけれど、何であんなのを朝からビデオを使うのかと思ったら、そのチャンネルはTBS系列だったのでなんとなく理由を察した次第(笑)。

その様子を見ていたうちの母親が「安倍さんも、早く謝っちゃえばいいのに」とか行っていたので、「あんな個人のメモ書きで、本当かどうか分からないものに謝罪する理由は無い。一般の会社だったら、即座に出直してこいと言われるレベル」と言ったら、「そうなの」と言っていたけれど。「大体、その会議に出ていたかどうかも分からないような人間が、自分の備忘録的にメモをしたものを証拠という方がおかしい。相手側にも見せて、錚々了解したものならまだしも、個人の勝手な憶測記憶も含めて書き留めたものは文書とはいわない」と説明したんですが、母や曰く「ちゃんとパソコンに入っていて印刷されたものでもそうなの」と... いゃ、一昔前なら、メモ用紙の裏にでも書いていたようなものでも、今はパソコンに入力するんだってば(笑)。

勿論、例えばポストイットにメモする程度の物から、レポート用紙とか大学ノートに書き留めるレベルのものまで、その内容屋範囲は色々あるけれど、個人が書き留めたものはメモメモ。それが手書きだろうが、パソコンのプレーンテキストだろうが、一太郎やWordで入力したものだろうが、あくまでメモ。多分、オリジナルデータは濃い回されているような書式でも無いし、もっと内容や言葉遣いもざっくばらんなものだったのでは。それを、意図は不明だけれど複数名に知らせる必要があるので共有フォルダーに入れるために、Wordかなにかで成形して作成して置いたものでしょう。それでも、それは「文科省側はそう思った感じた理解した」とは言えても、内閣側が「そう言った」という証拠にはならない。仮に内容が正しかったとしても、あの文章の言葉だけで判断出来るものでも無いし、当然其れ以前の会話なり資料を見て時系列でどの様な経緯を辿ってきたのかという事をちゃんと見て判断しないと、全く違う意味になってしまう。特に政治家が自分の発言一部をマスコミが切り取り言いように使うのと同じですよね。

ところで、新聞読者別の政権支持率との関連でこんな記事があったんですが、なかなか面白い。所謂「右派」と言われる産経新聞が圧倒的に政権支持率が高く、「左派」の代表で有り中日新聞の東京版でもある東京新聞はその逆。東京新聞に近いのが朝日新聞と毎日新聞というのも象徴的。これに地方紙も含めると、もっと面白い分布が読み取れそう。で、それぞれの新聞社はそれぞれのキー局と密接に関係があるわけで、東京新聞のテレビ東京は別して、朝日新聞とテレビ朝日、毎日新聞とTBSに対して、読売新聞の日本テレビに産経新聞のフジテレビと関連付ければ、これも実感に近い関連性を感じますね。まぁ、新聞社は自由に起業できる企業の一つだから、法律に反しない限りどの様な意図や内容で報道しようと許されているけれど、放送局は放送免許を受けて運営できるものだから、そこは責めて日経新聞くらいのバランスはとらないと拙いと思うけれど。

情報に関して言えば、やはり自分にとって有利なもの耳障りの良いもの期待するものを人は欲する傾向にあると思うので、考え方が近いメディアに傾倒していくことは理解出来る傾向。それが良いか悪いかは別として、新聞社側も部数を伸ばしてビジネスとして成功させないといけないから、内容的にもそういう傾向が強まればどんどんそうなっていくことも確かでしょう。ただ、企業として新聞社とは別に公共性を言うのであれば、そこは自社の利益を犠牲にしてでも守るべきところは守らないと。朝日新聞や毎日新聞が批判を受けるのは、そういうところが目立つからだと思うんですよね。最近ではネット発信の情報の方が、より事実に近かったり速報性が優れていたり、さらにはその後の経過などもまとめて収集できるから、どんどん中心になっていくけれど、そういうものにアクセス出来ないうちの母親みたいな世代やユーザー層の人達は、やはり旧来のレガシーメディアしか触れることは出来ないので、やはりどちらかというと保守寄りの考えのうちの母親にしても、ああいう風な理解になるのかなと改めて感じた朝でした。


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