2017年6月17日

作為的文書

加計学園関連の「怪文書」で、文科省側が再調査して出てきた資料。書式も含めて同一のフォーマット・内容のものもあれば、書式が異なっていたり内容が違うものもあり、文科省が今回出してきたものを「正」とすれば、正直なところ最初民進党や朝日新聞が提示した資料の信頼性は無いに等しい。印刷時のスペーシングの関係で、文書の幅とか位置がずれることはあるだろうけど、元の文書にある文章が抜けていたり、表記が違ってきたと言う事は、その提示されたものが別に作成されたものという事。それなら、同一のものなら信用できるかというと、結果的に一緒に公開された情報の中にノイズ(虚偽)がある以上は、それら全て疑わしいと考えるのが正解では。

と言うか、今回の場合はその文書の整合性ではなく、それがどの様に持ち出されて、且つその内容について疑念があるのか、と言う事。今回出てきた文科省の文書を見ても、別に問題があるわけでは無い。勿論、疑って解釈すれば文字の一つでも疑惑という事は出来るけれど、そう言うこと抜きに客観的に考えないと駄目。しかも、この事例だけとりだしてどうのこうのいっても無意味なわけで、一連の戦略特区の会議の流れの中で判断しないとおかしい。さらに言えば、今回発見された資料の多くは、本来その戦略特区とは関わりの無い人矢関係無い場所に保存されていたものなわけで、そもそもその時点で資料としての価値は無いと言って良い。自分達も仕事の上で色々な書類(Document)を作るけれど、その途中には調べた資料ファイルや臨時に作成したファイル、そら似は覚え書きや備忘録的なものなど、色々なファイルを作成してあちこちに保存するわけで、中には最終的な結論とは異なるもの反対の意見などもその中には含まれるもの。そういう色々な要素を比較検討して最終的な結論なり共通認識を示すわけですからね。だから、今回の文書だけで何か言うこと自体がおかしい。

一番疑惑があるのは、そういう本人すら忘れていたようなファイルが、何故か全く関係無いような民進党に流れて世の中に開示されたのかということ。まぁ、邪推すれば民進党の某議員が、獣医学会経由で知り合いの文科省職員にコンタクトして、そこから入手するのが一番ありがちな経路かなぁ。その場合、メール転送では履歴が残りますから、やはりハードコピーにして渡すのが一番ありがち。となると、書式だけで無く内容にも違いが生まれてくるのも頷けます。それでも、一部メディアは「怪文書では無く公式文書と認められた」みたいな事を強調しているけれど、それを言い出したらなんでもありになってしまう。それこそ、怪しげな内容のファイルを送りつけておいて、それを後から指摘して陥れることも可能になってしまう。メディア自身がメディアとしての信頼性を損なっていくことにもう驚きは無くなってきているけれど、それでも今回の強弁に関してはメディアなのか単なるアジテーターなのか疑問しか沸いてこない。ある意味、メディアが自滅と言うよりも自害しているような印象すら受けますよねぇ。

改めて、今回の文科省の再調査発表を見て、こちらが「正本」な訳です。で、先に出されていた民進党側の資料と一致(印刷方法で異なる要素は除いて、内容に関しての一致)して入れは、その民進党の資料は出所等は置いておくとしても、情報としては正しいものとして、少なくとも議論の元にはなります。ところが、内容に関しても不一致な点が存在した途端に、それって単なる「虚偽資料」でしかない。まあ、民進党としてはこれ以外に争点が無いから暫く続けるんだろうけど、それなら先に騒いだ森友学園問題とか、騒ぐだけ騒いだことをちゃんと落とし前付けてから次の案件に手を出せよと小一時間。

0 件のコメント:

コメントを投稿