2017年4月13日

働き方改革をすればするほど...

Diamond Onlineの記事から、政府が発表した「働き方改革」について。「働き方改革」が実行されれば、ますます働きやすく経済的にも向上するかと思うと、この記事の最後に書かれているのは、企業は人材への投資を続け、労働者は自己研鑽を続けないと経済成長は無いと言う厳しい結論。厳しいのだけれど、でもこれは当然というか当たり前だと思う。

最近ではそうでは無いけれど、産油国は湧き出る石油の収入で、税金の無い豊かな暮らしが実現していたわけだけれど、日本ではそう言う恩恵は臨めない。唯一「石油」に相当するのが、日本の場合は「手に職を付ける」事であったわけですよね。全ての仕事がそうだとは言わないけれど、でも多くの仕事が昔のような「与えられた単純作業を繰り返していく」ような事から、「与えられた仕事を以下に効率的にかつ付加価値の高いものにしていくか」という内容に変わってきている今、「どれだけ仕事をするか」の量の感覚から、「どのように(どのような)仕事をするか」という質の問題に変わってきていることを認識しないと、今の時代は生き残れないでしょうね。そう言う意味で少し前から色々議論されている「労働時間の制限」というのは、今はまだ必要だとは思うけれど、根本的な解決策では無いと思う。

まずやるべきは、職業特に転職するような場合の流動性を高めることじゃ無いだろうか。企業にとっては貴重な人材が流出する機会にも成ってしまうので痛し痒しだけれど、逆に優秀に人材獲得に繋がる可能性も生まれる。労働者側にとっては、電通事件のように耐えられない場合には、万一のことが発生する前に別の職場へ移動する事で命を絶つこと無く自分のやりたい仕事を続けられる可能性も広がるだろうし。で、必要なのは多分点食事の諸手続じゃ無いかと思うわけです。税金とか保険とか年金とか。そう言うものがワンストップで、あるいはワンタッチで切り替えられるような仕組みがあればどうだろうか。

で、一番変えなきゃいけないのは、終身雇用に年功序列、さらには残業も含んでの給与をベースにした人生設計の考え方じゃ無いだろうか。中には、毎日何時間仕事をしないと、という職種も勿論ありますが、多くの仕事は時間制から達成度に寄る評価に切り替えることで、まずは生産性と効率がアップすると思うけれどなぁ。勿論、古い世代とかなかなか要領が上手くない人はどうしても時間単位での仕事モードから切り替えられないかもしれないけれど、職場でExcelが使えないから紙に書いて提出しても良いよと言われないのと同様に、そう言うモードに決まったらそれに合わせないと。

企業と労働者だけが苦労するだけで無く、国としてももっと苦労して貰いたいのは、多分規制とか制限の緩和じゃ無いだろうか。例えば今問題になっている待機児童問題。開園するには色々な手続きや認証が必要だけれど、例えばNPOみたいなイメージで特別参入団体みたいな制度を作って、これは本来必要な人材や資格保有者等の承認条件に対して、それらを代替する計画書と準備が出来ていれば、元の制限を緩和して許可するようなイメージ。今保育士さんが足りないけれど、例えば子育て経験のある女性の教員経験者は同等に扱う。ただし本来の保育士さんの必要人数の1.5倍の人数を配置させるとか。敷地にしても、小中高校などの施設との共用を認めたり、それらの場所への移動で徒歩では無理な場合、地域のバス会社などと特別輸送の契約を結ぶと、そのバス会社に税制の優遇措置があるとか、そんな感じで、譲れるところは積極的に譲り、でも絶対守らないといけないところは厳しくする。当然認可する前には、それなりの保証金とか担保を取るとか、広く告知して回りからの透明性も担保する必要はあるでしょうし。そう言うルールの柔軟な利用対応と共に、そう言う仕組みの中で共通的に利用出来るプラットフォーム作りみたいなものもあると良いかも。

ただ、はっきりしていることは、労働者にしても企業にしても、ましてや国にしても、今以上に知恵と技術を振り絞って、より効率的で高付加価値な仕事をしないといけないという事。言い方は悪いけれど、昔のように単に日本で衣類を作っても、今では東南アジアですらコスト高になり、さらに安い場所に製造がシフトしている訳で、当然日本で何か作ろうとしたら、倉敷のタオルとか岡山のジーンズとか、手間暇掛かるけれどそれ以上に付加価値のあるものにしないと駄目。例えば昔は3Kの代表みたいな言われ方をした清掃業だって、機器を使いこなして短時間で清掃完了したり、あるいは24時間対応したり、付加価値を高めることでそれまでの時間単位の作業が内容単位の仕事に変わっています。そう言う「変革」なる事をありとあらゆる場所で進めないと、これからの日本は駄目。で、そう言う環境になれば成るほど、日本に来て仕事が出来るのはそれなりのスキルを持った人になるのでは。ただ、どうしてもそう言う世界に付いていけない人はいるだろうし、そう言う人達を取り残して良いとは思わない。その為にも、社会全体として効率化して余裕が生まれることで、そう言う人達に対しての対応なり、逆にそう言う人達だから可能な仕事みたいなものだって生まれてくるんじゃ無いだろうか。例えば、効率化というのは全体の中で無駄を排除していく半面、どうしても特例的な事象とか、突発的な事には対応しずらいもの。そういう時って、逆にそれまで効率的なシステムにはまっていなかった人達が有利になる気がする。


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