2017年3月10日

共有と占有

PCWatch、山田祥平氏のコラムから、アクセスの共有と専有について。この記事を読んでいて、真っ先に思い出したのがもう10年くらい前だろうか、大画面テレビが登場してインターネットに接続出来るようになり「リビングインターネットTV」みたいな売り方をしていたこと。家族がリビングに集まり、一緒に映画を見たりゲームをしたり、時にはメールチェックをしたり見たいなストーリーが語られたのだけれど、映画とかゲームなら良いけれど、自分のメールをみんなが見ている前で拓きたくは無いだろうし、親が子供に、子供が親に見せたくないサイトや内容だって幾らでも有るだろうから絶対受けないと仲間内で言っていてその通りになりましたね。

最近「Siri」とか「OK Google」みたいな音声コマンド対応のデバイスやサービスが登場してきたので、ホームターミナルみたいな物がコラムにも書かれているように登場してきたけれど、あれだって一人暮らしの人が利用する分には良いだろうけど、夫婦二人で使うことを思うと、ちゃんとそれぞれのターミナルを専用で準備するか、別々に認識してサービス手供するようにしないとどうしようも無い。ああいった製品のデモを見たことがあるんですが、正直なところコントロールターミナルとして一題部屋の中に置くのは良いとして、実際の操作とか音声コマンドの入出力は手元のスマホとかスマートウォッチでやれば良いじゃんという気がする。その場合であっても、一人でいるときならば音声コマンドも良いけれど、会社で仕事をしているときとか電車の中とか周りに人が居る場所での音声コマンドって、結構使う方も困るし周りにいる人も困るだろうし。将来的に思考入力が可能にならない内は、やはり何らかの形でのキーボード入力が必要じゃ無いかと思うんですよね。

例えば手元に小さなジョイスティックみたいなあるいは十字キーみたいな装置があって、手元を見なくても画面にカーソルとかが表示されてフリック入力みたいな事が可能になるような仕組みの方が、実用的だし現実的な気がする。で、そう言う占有デバイスが出来るという事は、共有デバイスではなく占有デバイスと言うのがこれからの方向性なんじゃ無いかという気がするんですよね。言ってみれば、その人一人一人のエージェントデバイス・タスク見たいな方向が。で、そのエージェントの裏側で共有デバイスが動こうがどうしようが問題無くて、あくまで人とデジタルの境界線がユニークな切り口で提供されていく。

その切り口を、例えば自分用のスマホに任せるか、ホームターミナルの中のソフトウェアエージェントに委託するのか、それはその時々だと思うけれど、一つ個人的に希望するのはそのエージェントの履歴や自分との記録がずっと継承されて、最後は自分が埋葬されるときにデータも一緒に埋葬(完全なパージ)して貰うこと。言ってみれば「デジタルバディ」みたいな存在を作る事が、これからの人とデジタルの境界線を具合良く構築する方法だと思うんですよね。デジタルは人の生活を便利で豊かにすると思うけれど、ある程度年齢を重ねてきたら人間と同じように少し不便になって言っても良いと思う。重要なのは、利便性だけを追求するのでは無く、その人に近いところででも少し距離はある状態で最後まで寄り添うことだと思うから。それが、色々な切り口はこれから生まれると思うけれど、人とデジタルが共存していく秘訣じゃ無いかと思うんですよね。

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