2017年3月11日

6年目の311

3月11日は東日本大震災が発生した日。毎年この頃になるとここにも書き込みますが、丁度金曜日で横浜の会社で仕事していて、午後の定例ミーティングの最中に突然大きな地震でオフィスが揺れて非常にビックリ。20階以上ある高層ビルの最上階だったので、凄く揺れたことを今でも体が覚えています。その後も余震が続き、都内の交通機関も止まっていたので深夜近くまでオフィスに留まっていたけれど、その後私鉄が動き出したので元々宿泊する予定のホテルに向かい、何とかその後の週末の予定も進める事が出来ましたが、大変だったのはその後ですよね。津波があり、その影響の大きさは地震の揺れの影響以上だったし、さらに福島第一原発の事故が重なり、さらに一番の災害は当時は民主党政権で首相が菅直人だったこと。不思議な事に、阪神大震災の時も村山内閣で初動に遅れて問題になったし、この東日本大震災では菅政権で、この時は最悪な対応で、特に中電の浜岡原発を停止させたことで、その後の原子力発電が停滞し、年間何兆円という浪費をする事になったし、自然再生エネルギーは家計の負担になってきているし...

阪神大震災も大きな地震だったけれど、それと比べてもなかなか復興が進まない東日本大震災、特に福島とか宮城とかの地域。最大の理由は、多分地震だけの影響なら東日本大震災の方が被害は少なかったのだろうけど、津波の影響が大きいですよね。津波で広範囲の地域が破壊され、その規模もそうだし津波に対しての対策を検討することで時間がどんどん過ぎていき、今でもなかなか復興が進まない。多分建物を復興するだけならもっと速く進むんだろうけど、その時にどうしても「津波対策」を考えなきゃいけなくなり、これが最大の負の遺産のような気がする。

今回も昔の大地震の時の津波の記録が石碑で残っていて、其処まで逃げた人達は助かったという話がありますが、そう言う意味で過去の教訓は忘れてはいけないし、何らかの形で残していくことは必要。一方で私などが思うのは、じゃぁ今の東京に関東大震災の教訓はどれくらい残されているのか、と言う事。勿論近代化建築で耐震性を高めたりしているけれど、古い木造住宅が密集していて震災時の火災の懸念はずっと言われているし、道路整備だって進まない。今話題(問題?)の築地にしたって、もし東京とか近郊で大きな地震があれば崩壊することは確実で、そうなると震災後の物流に大きな影響が生まれるでしょう。人は忘れていく生き物ではあるけれど、その中でどの様に過去の経験知を残して生かしていくことが、後に続く世代に対しての責任でしょうね。それって別に自然災害の記憶以外にも全てのことに言えることで、だから昔よりは今、今よりは将来は豊かになっていかなきゃいけない。

私が今できるのは、福島や宮城のお酒を飲んで、地物の美味しいものを食べるくらいだけれど、そうやって普通に生活していくリズムを取り戻すことが一番大事だと思います。まだまだ時間は掛かるだろうけど、確実に前には進んでいるわけで、今はゆっくりでも段々と加速が付いていけば速く復興することも確実。問題は、この3月11日だけ思い出すのでは無く、本当に少しでも良いから常に気持ちの中に置いておくことでしょうね。

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