2017年2月28日

フェイクニュース

トランプダウト雨量の選挙では"Fake News"という言葉が有名になり、最近では日本でも「フェイクニュース/偽ニュース」という言い方が広く聞かれるようになりました。明らかに事実と違うことを報道するのは、これまでも「捏造報道」と呼ばれて、過去にも幾つか例があったわけで、それらの種類のニュースと最近の「フェイクニュース」は一寸違う感じがします。所謂「誤報」というのも、取材不足、あるいは誤解などから、多分メディア自体は事実と思って報道したら、実は事実と異なっていた様な類のニュースだと思うので、これも意図的に偽情報を流す「フェイクニュース」とはちがう印象。

最近言われる「フェイクニュース」は、その裏を取っているいないにかかわらず、ちゃんと確認もせずに自分の都合のよう「真実」だけをつまみ食いする種類のニュースを言っているのでは無いだろうか。最近よくあるのが、日本の色々なメディア、それこそ大手新聞社から中小のゴシップ雑誌、さらにはあちこちのネットニュース等の真偽も定かで無い話題が、たまたまか意図的か不明だけれど海外に配信されて、海外メディアに掲載されると、それを利用して国内のメディアが「海外初のニュース」として大々的に報道するスタイル。私は、これを「インフォメーションロンダリング(情報洗浄)」と思っていますが、元々の日本発の情報が信義も定かで無いのに、それが海外の著名メディアに掲載されると「裏付けのある情報」として拡散されて、ますます箔が付いていくという、昔の土地転がしも真っ青状態。

真実を追究するというメディアは、園書かれている内容から判断するわけですが、事実を知りたい読者にすれば先ずは園情報の出所を知りたいわけです。例えば、その海外メディアの記者が日本で取材して、何かしらの確証を得ての記事掲載なら傾聴に値するけれど、単に日本の雑誌から切り貼りした内容が、日本語から英語に変わるだけで変な付加価値が付いていく。中身は同じなのに、包装紙が有名デパートの物だといかにも高級品と感じるようなものですよね。

結局最近のフェイクニュースと呼ばれる物の多くは、園字面しか水に判断している。判断以前に、単に鵜呑みにして右から左に動かしているだけで、自分がその情報を「活用している」と誤解している人が騒いでいるだけの世の中になっている気がします。仮に、その元情報が信頼性が低い物であっても、ちゃんと自分で咀嚼して検証すれば、それを信じる・信じないという「価値」が生まれ物だけれど、右から左に流すだけだから、結局何も生まない。大きな言葉で言えば、「ネットワークリテラシー」あるいは「インフォメーションリテラシー」という事なんだろうけど、その中がネットでどんどん便利になり手軽に情報が環流してくるから、昔で言う噂話、陰口が正式な情報として世の中に流布していく。そういう社会基盤の脆弱性も理解して今のネットの流れを見ていく必要があるんだけど、そこまで真面目に考えて、あるいはスキルとして持ちながら俯瞰している人って、ほとんどいないような気がする。でも、これまでも同じような事を何度も経験して経験値を積んだ人間が増えているので、時間は掛かるかもしれないけれど、ちゃんとしてリテラシーを持った人材も増えてきているとは思いますけどね。それでも、これでビジネスにしている人も多いので、また手を変え品を変えてフェイクニュースも進化していくのだろうけど。文字通り、キツネとタヌキの化かし合いがネットにも生まれて成長しているんですよね。

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