2016年12月21日

インスタントラーメン

産経新聞関西版に掲載された、日本から韓国へのインスタントラーメン技術の移転の歴史について。別に、日本にしても「教えてやった」なんて言う気持ちは無いはずで、色々な歴史的背景やそれに伴う感情的な物があって、同様の話は当時は幾らでもあったはず。実際韓国ではそんなことは言わないし、逆に変な「韓国起源説」に生まれ変わったりして可笑しくなってきているけれど、当時は双方それなりに尊敬して理解して技術が伝搬していったはずなんですけどね。

別に「だから韓国は」とか言うつもりは無いけれど、彼らにしてみたら凄く勿体ない気がするんですね。勿論、世界的な技術だとかユニークな技術を自分達で作る事が出来なかったと言う事は、特に技術者とすれば悔しいことだとはおもう。でも、技術の世界はそう言う創作の分野も大切だけれど、今ある物を革新的に改善することとか、それらを組み合わせて新しい物より良い物を作る事も大切な事なわけで、弦22本の産業だってそう言うものの上に成り立っていることは誰も疑わない事実。その上で、そう言う経験から新しいものだって生まれてくるわけですからね。韓国にしても、日本から入ってきた時はこういうレベルだったけれど、今では自分達でここまで改善した、と言う事は立派な業績だと思うけれど、出も絶対それは彼らにとっては、特に日本からの技術という意味では受け入れられない事。そう言う狭い了見って、凄く勿体ないと思うのだけれど。

日本でのインスタントラーメンって、昔々のチキンラーメンのスタイルから、今では様々なバリエーションが生まれていて、特にメインとなる「麺」に関しては、ストレート麺から生麺から、さらにはアレルギー対策にダイエット麺にと、それだけでも数え切れないだけの物が次々に誕生しています。さらにスープや具材に関しても同様。でも、韓国の場合は、スープこそ唐辛子のたっぷり入ったから鋳物に変わっているけれど、余り麺にしてもスープにしても変わっているような雰囲気は無くて、昔ながらの「インスタントラーメン」のまま今も続いている気がします。その至り、それでいいという固定観念があるのか、改善の努力をあまりしないのかまではよく分からないけれど、日本以上に国民食と言っても良いものに対して、著つと興味が低い感じがするのも事実。その当たりの淡泊さというのか、力のいれ具合の違いというのか、そういう所に国民性の違いというか、感性の違いをいつも感じます。

「だから何々」と言う気は無くて、それはそれで「割り切りの美学」でも良いし、逆に日本人がラーメンにしてもお米にしても何にしても追求していく姿勢の方が「異例」なのかもしれない。ただ、だからといって日本人が「ラーメンは日本人が発明した」とか「お米は日本が期限」とかいう事は言わないわけで、日本人としては起源よりもそれを自分達がどれだけ改善したかという所に喜びや美意識を持つわけですよね。それって、起源はそれ一つで終わりだけれど、改善・改革・改良というものは、常に続くし良くなっていく物だから、幾らでも出来るという事が最大の利益だと思うんですよね。勿論、日本が元祖・起源のものも沢山あるし、そう言うものを大切にしていくことは重要。一方で、自分達がどれだけ良くしたと言う事も、同じくらい大切でかつ誇れるもの。そう言う気持ちがある国と、無い国との違いというものを、例えばこのインスタントラーメンの文化一つみても現れている気がしますねぇ。

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