2016年11月23日

メディアの新陳代謝

大統領選挙後、二週間過ぎているのに未だに記者会見などのメディア対応をしないトランプ氏。代わりにYouTubeに地震の公約や意見を投稿して、これを記者会見の代わりにしていく様子。個人的によほどメディアが嫌いなのか、何か言質を取られるのが嫌なのか、まぁ全てなんだろうけど、これはこれでメディアの中でどうしても偏向加工される「意見」により、入らぬトラブルを誘発するリスクは避けられる事は確か。一方で、YouTubeあるいはネット経由の情報提供では届かない人達も多くいるのも事実なわけで、そう言う人達にとっては逆に彼の主張や意見は届きにくくなる。あと、ネットを利用することで、既存のメディアが消えて無くなり完全に置き換えになるならまだしも、当分の間は並列して存在していかないといけない。その時にその既存メディアとどう付き合っていくかというのも、情報戦略として重要だと思いますよ。パソコンの世界でいったら、どうレガシーリソースを扱い、どれを残してどれをサポート終了するかというような話じゃないかと。

「メディア」というと「第四の権力」とか「報道の自由」とか「公明正大」というようなことを言うけれど、自ら「権力」といってしまうところでその存在意義って「公」から「私」に変わっている気がする。実際、メディアの多くは私企業であり、情報を切り売りすることで収益を上げているわけですからね。だから、彼らの発信する情報は会社の意向だとかその編集者や記者のバイアスが掛かっているもの。さらに言えば、情報発信の容量に制限があるから、どうしてもオリジナルデータを加工しないと生けない。1枚の写真データをRAWデータで配信するのが一番正しいと思うけれど、それではファイルサイズも大きいし無駄な部分も含まれているとよろしくないから、トリミングしたり配布できるようにJPGとかにすることで、情報劣化することは覚悟しても、その中の何を伝えたいのか、それを強調することがメディアの仕事。でも、その修正作業が最近は著しいのが最近のメディアの問題。だからメディア嫌われる(笑)。

YouTubeの一方的な配信は、自分の意見を編集されること無く全て伝える手段としては有効だと思うけれど、例えば記者等との一対一の会話とか、その瞬間瞬間にでるだろうその人の人間性みたいなものが伝わらない。例えば双方向のテレビ電話会議みたいなことをやるならば、そのギャップも埋められるだろうけど、多分そういう事をやってもやはり既存メディアにしか接することが出来ない人には届かない。だから、やはり既存メディアも「レガシー」として維持する必要はあるんじゃ無いかと。そう言う意味で、トランプ氏に限らず、情報発信が必要な人や組織は、やはり積極的に既存メディアを活用する方が良いと思います。ただ、その代わりとして、例えば雑誌取材の場合もその場面は全部保存して、それも公開するとか、要するにオリジナルと加工品を常に対比できるようにすることで、第三者が比較検討できるようにするのが一番かなと。よくある、言葉の一部を切り出して利用されることにも対応出来るし、正直既存メディアの制限のある情報田達を保管することにはなるでしょう。で、余りに両者の乖離が酷いことが分かれば、既存メディアに対しての支持も減るだろうし、それは結果的に彼らに対しての自浄作用にもなるように思います。

取りあえず既存メディアの一番悪いことは、最近は自分達の「意見」を強制してくること。彼らは、先ずは事実を最優先で伝えるべきで、それに関して判断するのは個人の話。それなのに、予め結論ありきのような論法で記事が準備されていて、誘導するような内容の記事が増えている気がします。それに対してのアンチテーゼが、今回のような「オリジナルを出す」という方法で、それはこれまでは非常にコストが掛かる方法で事実上不可能だったことが、今のネット時代で可能になったと言う事を、レガシーメディアも自覚しないと。

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