2016年11月21日

誰も知らない金色夜叉

熱海の名所の一つ、金色夜叉の「寛一お宮の像」に、これは女性蔑視ではありませんなどと言う注釈プレートが賭けられているという記事。いゃいゃ、やり過ぎだろうと小一時間。

「熱海市の担当者によれば、女性蔑視の像だと抗議をしてきたのはみな日本人で、外国人からの抗議はこれまで1件もないという。」らしく「「外国人ならこう思うに違いない」と勝手に忖度した日本人が騒ぐという、よくある構図が透けて見える。」というのが事実なんでしょうね。多分、クレームを入れて来た「日本人」は、金色夜叉を読んだこともなく、また外国での社会生活や背景も聞きかじり程度で、実際に経験したことも無いんじゃ無いだろうか。で、後半の「外国人なら」というのは、先日の「ヌーハラ」にも繋がる話で、確かに音を立てることはマナー違反ではあるけれど、それと日本古来の作法である「すする行為」を直接結びつける短絡的な思考が分からない。それなら、外国人が日本を訪問した時に、土足のまま室内に上がることを彼らは許すのだろうか。

自分の経験も含めて考えると、結局こういう人達はネットなどから得られる情報で頭の中で「創作」してしまうんじゃ無いかと。金色夜叉と聞くと、その男女間の悲哀の話とか関係無く、単にあの像が表している寛一がお宮を足蹴にして涙する場面を、女性に対しての暴力と短絡的に理解し、そこに海外のフェミニズムとかレディーファーストなんていう話が刷り込まれると「あれは外国人から見たら日本の恥だ」みたいな事を創作してしまう。所謂「ゲーム脳」と言われる、ゲームの世界と現実の区別が付かない事と同じような事を、このネット時代に知らないうちに溺れている人がやってしまうんでしょうね。で、質が悪いのは、自分がだから正しいと思い込んでしまうこと。

仮に、この像がニューヨークのど真ん中にあるなら、確かに誤解する人も生まれるかもしれない。でも、熱海という小説の舞台ある以上、それはもの物語の一場面を表していることは明らかだし、その行為はその物語の表現で有り、それ以外の何らかの主張をしているわけでは無い事は確か。そんなことを言い出したら、世の中には女性蔑視、男性蔑視、LGBT蔑視、民族蔑視、もうなんとでも取れる内容の作品が幾らでもあるわけですし。

その強い抗議を送ってきたという「女性大学教授」って言うの人は、よほど社会をひねた視線で見ているのか、自身が正義という強い迷惑な正義感をお持ちなのだろうと推測されます。で、何人か「あの人では」という候補が直ぐに浮かんでくるところに、あぁ社会は狭いなと感じてしまう(笑)。結局、こういう人達が言論の自由を狭め、公平な社会を歪め、人々の間に入らぬ義憤や疑念を生み出していくんでしょうね。「無能な働き者が一番迷惑」という至言を思い出す。因みに、先日の「金スマ」に蓮舫氏の私邸の様子が家族と共に紹介されたらしいけれど、ご主人は「植物以下」の扱いらしい。これは逆差別と言わないんだろうか。というか、第一野党の代表が、家族とは言えこういう扱いをしていることに批判を市内「平等主義」の人って、やっぱり偽善なんだろうなぁ。金色夜叉は小説の、しかも100年くらい前の話だけれど、今現実に進んでいる差別ですよ、こっちは。話題にならないのは、実は誰も「利益」にならないと思っているからなんでしょうね。

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