2016年10月8日

死刑反対は賛成?

死刑制度反対を訴える日弁連が、そのシンポジウムで公開した瀬戸内寂聴氏の発言が物議に。党の日弁連からも、批判が出て、結果的に謝罪する事に。

日本の法律で、死刑に相当する犯罪というは殺人罪しか無いと思うのだけれど、相手が人の命を奪ったのに、その相手はそのまま生きていくと言う事は個人的には一寸疑問を感じます。例えば詐欺とか窃盗などの場合、全部では無いけれど経済的に保証などを得て回復する事は可能。障害などでも、怪我なら回復するけれど、例えば一生その障害が残る事もある。その場合は経済的な保証で相殺するわけですが、それだってそれまで普通に歩いて生活できていたものが、例えば寝たきりになってしまったら幾らお金をもらっても私だったら納得できない。それが命を奪われてしまったら、どうすれば良いのか。

瀬戸内市の「命を奪いたがる馬鹿者」というのは、死刑制度を存続させる国に対しての発言という説明だけれど、それって先日の相模原の事件の犯人のような場合にも当てはまるのでは。彼の場合まだ裁判は始まっていないのかな。それでもあれだけの人の命を奪った事を考えると、あれで無期懲役とかの判決が出たら、やはり遺族や関係者はやりきれないだろうし。

死刑制度反対の理由の一つに、所謂「冤罪回避」という目的があることも理解出来ます。過去、色々な理由から冤罪が生まれて、それによって実は無実なのに犯罪者として処刑・処罰されたケースもあったでしょう。その場合は、犯罪に遭遇して命を奪われる異常に悔しい事は理解出来る。ただ、そう言うケースもある一方、流行許せない理由で人の命を奪った犯人も多くいるわけで、そう言う人達と同列に全てを判断するのはどうだろうか。

個人的に一寸疑問を感じるのは、ある事件が発生して被害者が何らかの被害を受け、その犯人が捕まり裁判で判決が出る場合、一般的にはその犯人が与えた被害よりも、その犯人が受ける処罰が軽いような気がします。例えば傷害罪で10年、20年、寝たきりになるような障害を受けても、多分判決ではそんなに長い時間の懲役刑では無いだろうし、もしかした紋は週となって刑期短縮と言う事もあるかもしれない。その罪を悔いて反省したなら許しを与えると言う説明も理解出来るけれど、それでもそれって被害者の救済・利益を考えていないような気が以前からしています。勿論、その犯行理由は色々あるので、これも十把一絡げで話しは出来ないのだけれど。

死刑の代わりに終身刑という話も出ているようですね。ただ、そのコストは払い続ける事に国民として納得できるのだろうか。個人的には死刑制度は残して、凶悪犯罪に対しては死刑の適用は為つつ、終身刑も創設して怪しい場合や判断が難しい場合にはそちらを適用するという、ある意味玉虫色だけれどそう言う折衷案しか無いような気もします。ただ、どちらの場合であっても、また死刑制度に対しての立場が賛成・反対どちらであっても、今回の瀬戸内氏の発言は間違っていると思う。余りに感情的で、且つ個人の思い込みを単に言葉にしただけと言う気がする。

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