2016年7月6日

40年前のダッカ事件

今回先月末から先日までUS旅行をしている間、今回のダッカでのテロ事件のニュースを現地で見ました。最初にこの事件のニュースを聞いた時に思ったのが「なんで40年も前の事件を今放送しているのか」ということ。私の年代から少し若い世代の人なら記憶していると思いますが、1977年に発生した「ダッカ日航機ハイジャック事件」。当時の日本赤軍がフランスから日本に戻る日航機をハイジャックしダッカに着陸。抑留されていた日本赤軍メンバーの開放や身代金を日本政府に要求した、当時としては世界中の注目が集まった事件でした。

途中、色々紆余曲折ありながらも、日本政府の当時の福田首相は「人命は地球よりも重い」という名言(迷言?)と共に、犯人の要求を全面的に受入、メンバーの開放や身代金を支払い、ハイジャック事件としては完全成功のような事例になってしまいました。当時は、世界からは過激組織の資金提供になるとか、折角捉えた過激派がまた世界に散らばるという厳しい指摘があったものの、兎に角一人でも日本人が犠牲になれば日本政府がひっくり返ると言うような時代でしたからね。結局は当時の福田首相の対応は、当時の日本人は満足して受け入れたわけです。

同じダッカで発生した事件だから関係があるとは言わないけれど、あの時の日本政府の対応がもう少し違ったものであったら、もしかしたらそれ以降の時間軸が少し違ってきて、今回の事件や其れ以前の事件に対して一寸違う結果が生まれていたかも。勿論、プラスの変化を期待しているけれど、マイナスの変化になっていた可能性もありますが。

選挙中と言う事もあり、野党だとかその手の皆さん達は早速「アベノセイダー」の大合唱。同じ攻めるにしても、例えば現地の安全情報はちゃんと収集していたのか、とか、その他周辺国での安全確保は出来ているのか、とか、日本国内での安全対策はどうなっているのか、とか、もっと国民の立場になった質問なり確認事項があるはず。それなのに、まずは「戦争法のせいだ」とか「軍国主義がどうたらこうたら」とか、もう国民の心配よりも自分達の選挙の心配ばかりしている。今回の犯人に関しての情報はまだ少ないけれど、今言われているのは犯人の多くは裕福な家庭出身で、かつ高学歴な人間も多いとのこと。そういう意味では、貧困とか経済的な困窮から犯行に及んだわけではないし、あるいは学歴のない人が騙されて犯行を実行したわけでも無い。恵まれているが故に、何処かで考えのベクトルが傾き初めて、それが過激な方向にどんどん突き進んで行ってしまったという印象。多分、普通に生活している人なら、あるいは普通の人間関係がある人なら、その途中で諫めてくれる人も居るだろうし、何か考えを変える切っ掛けにも出会ったかもしれない。でも、最近の情報社会のせいもあると思うのですが、人間ってどうしても自分の都合の良いこと、気持ちの良いこと、興味の有ることしか求めない、信じない、広めないから、一度ベクトルがそれていくと、どんどんそれが強調されてしまうんでしょうね。

40年前の日本の対応が、もっと毅然としたものであったなら、もしかしたら今回の事件ももう少し違ったものになったかもしれない。でも、それによって日本赤軍や当時の過激派組織がますます先鋭化していったかもしれない。それは「IF」の話でしかないけれど、そういう過去の色々なものの積み重ねが今に続いていることは確か。となると、過去がもう変えられないのであれば、今の時点で出来る事をこれから変えていくしかない。私は暴力は勿論、力による変化を肯定しないけれど、しかしある程度の強制力が必要な場面はあると思っています。ただ、それは一つの国・組織がやるのではダメで、世界中が同意する方法でなければ単なる暴力と同じ事になってしまいます。勿論、100%の同意が生まれることはないだろけれど、日本としての何を是として何を否とするのか、世界に対して明確にしていき、勝つような時には実行する覚悟が必要な時代になったことは確かでしょうね。

多くの犠牲となられた方々のご冥福を、ただ祈るだけです。

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