2016年4月8日

厳しい「やさしさ」

昨今の「謝罪ブーム」に関して、面白い考察をしている記事。本当に心から申し訳ないと言う気持ちとは別に、取りあえずお呼びのプロトコル(儀式)の一つとして、まずは「謝る」というのは、確かに日本人的な習いというか国民性というか。昔海外出張でアメリカに初めて行く時、レンタカーを利用するけれど事故った時には間違っても日本の「済みません」のつもりで「I'm sorry.」とは言うなと言われて言ったものだけれど、まぁそれに近い話しじゃないかと。

最近色々なケースで感じるのは、やはり日本というのは「村社会」なんだなということ。狭い地域に集団で生活しなくちゃいけない環境では、他人との協調重視な社会で無いと生活できません。だから、あ、うんの呼吸とか、言わなくても分かるとかいう手段が必要になるし、それによって余計な摩擦を生まない、多少の事は我慢して相手もそれに気づくようなシステムが続いてきたんじゃ無いかと。だから、そういう社会ではある意味プライバシーも無くなるわけで、「性善説」でないと集団生活も出来ない。さらに言えば、どうしてもそういうしすてむに馴染まない存在は「村八分」になり、社会から排除されてしまう。もっとも、今回の一連の「謝罪事件」に関しては、それぞれ背景や事情が異なるので一緒くたにする事は出来ないけれど、昔だったらもっと限定的な範囲でのみ評価されてきたものが、今ではメディアだけで無くインターネットに寄って不特定多数の「参加者」がそれぞれの事象を批評する時代になったので、そちらの影響の方が大きいでしょうね。

所謂「炎上」が、今では簡単に生まれてしまうわけで、それは何か事象が発生した時に瞬時に日本中世界中にその情報が配信され、更に間髪入れずにそれに対してのその場の感情的な反応が同様に配信されてしまう。ある意味、情報の共鳴現象と言うか、それがそのまま伝搬するならまだしも、それに対してやはり反射的にコメントとか批評とか追加して更に伝搬していくので、それによってますます情報伝搬が複雑化と言うかノイズ化していき、それがどんどん反響して大きな事象にしていく状況が、やはり根本の問題では無いでしょうか。何か事象が発生した場合、1時間は反応できないようにしてしまうとか、極端な話しそんな「冷却期間付」でないと情報に対して反応できないようにしてしまう仕組みとか入れないと、多分ますます今の過剰反応な状態は拡大していくんでしょうね。私が、昔々BBSとかやり始めた頃は、何か意見とかコメントを各場合は、画面(当時はラインエディター的なプロンプト画面だった)から直書きするのでは無く、エディターでファイルを開いてそこに書き込み、それを一晩寝かせてからアップしろと言われたものです。勿論、その方法は通信費削減のためにも有効だったからですが、一度文章にして、暫く時間をおいてもう一度見直すと、結構頭に血が上った状態でも冷静になって、先に書いた文章を随分削除したり修正したりして、まぁ今ほどの炎上騒ぎにはならなかったような。それでも、無かしら結構炎上(当時は「フレーミング(Flaming)」と言いましたが)もありましたけれど。

先の記事の中では「やさしさ」と書かれていますが、それとは一寸ニュアンスが違う感じもします。「正義感」とか「(自分の)正当性」とか「べき論」みたいな、「意識」では無く「感情」として発せられてしまうのが、最近の傾向なんじゃ無いかと。自分も気が短い方だから、注意をしようとしているものの、やはり時々無意識にレスポンスを書いている時があったりしますから。それでも、年齢と共に、かなり丸くなったつもりではあるけれど、逆に最近は高齢者でも結構過激というか感情的になりやすかったりするから、困ってしまいます。アメリカなんかだと、そういう論争、ディベートの教育を子供の頃からやっているので、ある意味感情の発露とは別に、相手と言葉で戦う技術を持っていますが、そう言うこともこれからの社会では一つの能力になるのかも。ただ、それも相手も同じ土俵にいる場合には成立するもので、今のように相手は感情的に爆発してしまう時には、こちらが幾ら冷静になってもダメなわけで、結局は何も言わない・何も書かないことが一番と言う事になりかねませんね。そう言う時代の「やさしさ」って何だろうか。

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