2016年3月16日

何となくとっても不愉快

朝日新聞に掲載された記事から、北海道の写真コンテストに掲載された写真が物議を醸しているという話。最優秀賞に選ばれたが、海岸に打ち上げられた鯨の死骸の上でガッツポーズをしている写真。しかもタイトルが「征服」。いゃ、これは拙いだろう。特におかしいのは、写真を選択したという女性会員の言葉。

「クジラは生きていると思った。その上に乗っかるなんて勇気があると思ったし、感動したので選んだ。それが冒瀆と言われると何と言っていいかわからない」

仮に生きている鯨の上に乗れば、それは虐待だろうし、それを持って「勇気」というのは変でしょう。更に、今回は既に鯨は死んでいるわけで、それを利用してこう言う行為をすることは、死んだ鯨に対しての「冒涜」と十分に言えるのでは。この写真コンテスト、北海道立オホーツク流氷センターが主催した写真コンテストということで、そんなに変な組織では無いだろうし、他の写真を見ると文字通り北海道、オホーツクの自然の様子が写された良い写真だと思うのに、なんでこれが最優秀賞なんだろうか。

確かに、日本人と鯨との関係は密接だし、畏怖する存在でもあるし、その巨大な存在を上回ると言う事は、それは何か達成した物であることは確か。ただ、今の風潮であるとか、今の日本人と鯨との関係を考えると、仮にこう言う行為をしたとしても、それを写真に撮影して拡散し、更にそれが感動するような光景だとは思えない。私が最初にこの記事と写真を見て思ったのは、欧米のハンティングをしている人が、射止めた動物の上に立って誇らしげにしている様子を見た時の違和感というか不快感と同じようなもの。生活の糧として獣猟師が射止める場合や、獣害対策で射止める場合は、これはまぁ仕方ないと思うけれど、「スポーツ」として射止めることには反対。それと同じ不快感ですよね。

今朝のニュースでは、この騒ぎで写真を撮影した人は受賞を辞退したという事で、何となく騒動も収まるのだろうけど、でも後味は悪いですよね。仮に、この鯨の死骸を写真に納めるのであれば、例えば暗くなった夕日の中で静かに旅立つ様子であるとか、波がこの巨体を洗う様子とか、もっと鯨にも命にも自然にも尊敬の念を表す構図はあったはず。それが、このオホーツクや北海道の宝物だと思うんですけど。北海道の人達があの土地で生活している理由は、何も厳しい自然を征服しようと思っているからじゃ無くて、あの豊かな自然と共存しようとしているからだと思うんですよね。それを考えれば、決してああいう写真は撮影しないだろうし、仮に目に入ったとしてもそれを最優秀賞と感じることも無いと思う。

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