2016年3月11日

5年目の311

東北大震災から5年目の今日、数日前から情報番組やニュース番組の特集で、あの3月11日の様子が何度も取り上げられ、今朝は朝から現地中継が入っていたりします。もう5年と思うから、まだ5年と思うかは人それぞれだと思うけれど、一つ言えるのは遅々として進まない現地の復興。勿論、すこしずつ色々な場所に生活は戻りつつあるけれど、未だに仮設住宅は無くならないし、海岸地域にはまだまだ更地のままの場所が多くあり、とても「立ち直った」と言える状態ではありません。

いつも感じるんですが、同じく大きな被害を出した阪神淡路大震災は、5年目くらいにはかなり回復していた記憶があります。かなり乱暴な言い方だけど、阪神の場合は内陸部の被害が多かったから、延焼した家屋や瓦礫を撤去して、そこに新しい家や建物を建て直すだけで良かったのに対して、東北の場合は津波被害対策で堤防は必要、土地のかさ上げも必要、塩で洗われた土地の洗浄が必要、さらには原発の影響元、何重もの条件が折り重なっているわけで、なかなか解決出来ません。同じ堤防を作るにしても、より強固な物をと言う場所もあれば、海が見えないのは不安と言う事でこれまで同様の物にする代わりに土地のかさ上げや避難場所を整備する場所もあり、どうしても100%の解決策は無いもの。

これまた乱暴な意見ですが、「1000年に一度の大地震」であるならば、これから1000年はあのような大規模災害は無い(という仮定)のだから、まずは通常の台風等の対策で必要な程度の堤防を先ず作り、その次に以前同様あるいはより効率的作りを進めていれば、この5年間の様子はもっと変わったかもしれない。そういう知見は、例えば地元の浜松での堤防作りとか、遠州灘近くの地域での命山とか避難場所建築に行かされているけれど、そういう形で少しでも波及していくことで、次の災害対策にもなるわけだし、もう一つあの経験と知識を構成に伝えていく「DNA」みたいなものにもなって欲しいところです。

ただ、物理的な物は作り直せば良いけれど、どうしても消えないのが農作物水産物に対しての風評被害。私なんか、福島産の物は全て検査されて出荷されているわけだから、日本であるいは世界で一番安全な食べ物だと思っているくらいだけど、世の中にはそうじゃ無い人も沢山いますからねぇ。一旦頭に叩き込まれた物は、多分一生抜けないだろうなぁ。それならそれで、それはその人の自由ではあるけれど、そういう人に限ってエキセントリックに世の中をかき回すから困りもの。中にはこう言うトンチンカンなことを言い出す教師もいるみたいだけど、311の事を社会教育として教え伝えることは必要だけれど、一方で教え子の旅立ちすら祝福できないような人間が教師なんてするべきじゃ無い。痛みだけじゃ人は生きていけない。希望や喜び、あるいは夢が無ければ、人は成長できないし生きる意欲も沸かない。それは、一人一人が自ら考えて見つけないと行けないことではあるけれど、回りの少しの手助けが大きな物に繋がることもあります。この日、悼む気持ちを持つことは必要かもしれないけれど、それを踏まえて自分が何が出来るかと言う事を未来について考えることも重要なのでは。多分現地の人達も、そういう「次」に繋がる支援を、今は願ってるんじゃ無いだろうか。

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