2016年2月11日

停波問題

私も、もう40年以上もHAM(アマチュア無線)の免許を保持しているので、一般的な人よりも電波法とか、こう言う通信関係に関しては馴染みがあるし理解していると思うけれど、そういう立場で今回の「停波」問題を聞いていると、少なくとも高市大臣は法令に関して一般論を述べているだけで、特定の放送局がどうという話では無いはず。逆に違和感を感じるのは、この問題を報じるテレビやメディア各社が、この放送法が彼らに対してフリーハンドを保証しているように主張していること。つまり、放送局やメデイアは厳正中立公明正大で有り、その立場を疑うこと自体が圧力であり法律違反である、みたいな。

新聞社は「公共性」と言ってみても私企業であるから、ある意味何を報じても許されるんだろうが、放送局に関しては公共資産である「電波」を使用する免許事業である以上、その免許交付には制限やルールがあるのは当然のこと。一番重要であろう「基本的人権の保障」ですら、完全なフリーハンドを許しているわけでは無いんですからね。メディア各社が「自分達は公明正大に放送事業をしているから、何ら放送法に抵触することは無い」と言えば良いだけのは無しで、そこを「停波発言は圧力」とか言う出すのは、実は後ろめたいことがあるからでは無いだろうか、と普通は思います。

で、今の時代情報は検索すれば直ぐに色々見つかるもので、このTwitterのまとめをなぞってみると、細川政権時代に有名な「椿事件」が起こり、ここで元々はメディアの自主規制と思われていた今問題になっている「停波」に関して可能性が示唆されています。で、その後民主党政権時代にも、当時の総務副大臣が同様の答弁をしていて、今回の高市氏の発言も、それに準ずるもの。民主党が今回の発言を問題視するなら、先ずは自分達の立場を訂正しないと。

「停波」は完全に放送局としての終焉だと思うけれど、その手前の「行政指導」に関しては何度も行われています。これは「圧力」とは言わないのだろうか。停波されるよりも軽い処分だけど、それだった恣意的に何度も繰り返されれば実質的に圧力になるわけですよね。でも、それを否定しないのであれば、放送局側にも自分達に問題が発生することも理解しているわけで、それが過度に大きなものになれば、最も重い処分が下されることも理解しているんじゃ無いの? 勿論「知る権利」に繋がる重要な社会サービスであるから、どちらの側にとっても慎重に対応すべきだけれど、本来自助努力すべき放送局側が、この放送法を盾に自らの正義を言うのは変じゃないだろうか。放送に限らずメディアはこぞって高市大臣の発言を批判的に報道しているけれど、全体の話の流れの中で好きな場面だけを切り貼りする様な行為を「報道」と言うのであれば、多分誰も見なくなる、そっぽを向くと言う事をもっと自覚しなくちゃ。メディアが報じるべき事は、誰もが納得する、賛成する、合意するような事じゃ無くて、視聴者・読者が問題意識を感じて、賛成・反対二分するような内容こそが、メディアが報じる意味がものでは無いだろうか。

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