2015年7月13日

子供をだしに使う

横浜の中学校が予定している、富士演習場でおこなわれる陸上自衛隊の総合火力演習の予行演習見学を巡って、市民団体が見学中止を要求しているという記事

すでに何度か実施済みの行事であり、しかも保護者が同意した希望者から抽選して参加するもので、横浜市の教育委員会も問題無しと行っています。ところが反対する市民団体は、

「自衛隊に関する意見が分かれている中、社会経験も知識も不十分な子供の心情を引っ張るような教育は正しくない」

と言って反対しているそうな。でも、言っている側の団体やそれに近い団体が「戦争反対」とか「原発反対」とかその他とても子供に聞かせられない様なスローガンの元にデモとかするときには、ちゃっかり子供を連れてきていて、その子供達をだしにして自分達の主張を強調するわけです。確かに「この子供達の未来に関係する」というのは正しいとは思うけれど、それならば「社会経験も知識も不十分な子供の心情を引っ張るような行動は正しくない」と言われたらどうするんだろうか。

一つのことを判断することは簡単に決まることもある誌難しいこともありますが、何れの場合にも先ずはリスクゼロという事は有り得ない。そのリスクと得られる利益の大きさを天秤に掛けて、是非を決めるべきだけど、人間の判断することだからどうしても心情的な要素がバイアスを掛けます。その中でも1番心情的に弱い子供を利用するというのは、やはり方法論としてどうだろうか。「子供を守る」という事は、子供を危険な場所に行かせないと言う方法もあるけれど、迫り来る危険を回避する・防ぐと言う事もあるはず。単純に感情で判断出来るものでは無いはずなんですよね。と言うか、こういう人達って言うのは、そう言うこととは無関係に、単に「手段」として利用しているだけだから、そこまでの考えはないんだろうけど。

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