2015年7月30日

70年という節目

戦後70年と言う事で、8月15日前後に向けてよくも悪くも色々な話が生まれてきているわけですが、よく分からないのが「70年という節目」というような言い方。確かに10年区切りはよく使う慣習ではあるけれど、「70年」というのはちょっと中途半端な気がしてなりません。村山談話が出された「50年」というのは、まあ「半世紀」という日本語もあるくらいだし、アメリカなんかでも「Half Century」という事で、節目と言う意味では良く使われます。次の小泉談話の「60年」というのは、多分海外の人にとっては余りピンと来ないだろうけど、日本人やアジアの人間にとっては「還暦」という事で、馴染みはかなりあるんじゃ無いだろうか。

で、今年発表が言われている「戦後70年安倍談話」。「70年」と聞いてピンとくる事ってなんだろう。「72年」なら、還暦+12干支と言う事で、まだ「なるほど」ちょっと頷けるところもありますが、70年というと10年刻みの一つという印象しか浮かばない。あるいは「75年」であれば、「Three Quarters」と言う事で、25が計算単位となっているアメリカ人当たりにはピント来るかもしれない。50年、60年、70年と談話を発表したら、次は80年、90年と、10年ごとに談話発表をしないといけなくなり、その度に中韓が騒ぐと、どなたかが何処かで言われていたけれど、まさにその通りだと思います。今回は先の談話とは事なり、「未来志向」と言うことで内容や方向性は違うようですが、それはそれで騒ぐだろうし。最も、何を言っても納得しないから、何を言っても同じだとは思うけれど。

終戦の1945年に実際に戦地に赴いた人は、今現在どれくらいご存命なんでしょうね。18歳で徴兵されて戦地に言ったとしても、今年は88歳。世界一の長寿国となった今の日本には、まだまだ元気で活躍されている方も多いと思うけれど、次の80年の時には98歳。現在でも、戦後の「記憶」は無くなりつつ有り「記録」となりつつあるわけで、もう歴史という本の中の止めて忘れないことで十分な時代になったんじゃ無いだろうか。

既に発表することは決定しているので、何らかの形・内容で「70年談話」は出されるんでしょうけど、それを受けて2020年の東京オリンピック・パラリンピックの年は、戦後75年でもあるので、オリンピック・パラリンピックの成功を受けて、日本としても戦後のけじめをこれで一端完了として、ここからは未来のために努力するという宣言をしても良いんじゃ無いかと。1964年の東京オリンピックが、戦後復興した日本の象徴になったのであれば、2020年の次の東京オリンピック・パラリンピックを戦後の終了、未来への起点と言うとらえ方をしても良いんじゃ無いかと個人的には感じます。

まぁ、何をやっても言っても、あの国とあの国は難癖付けてくるだろうけど。

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