2015年3月19日

離婚会見

タレントのスザンヌさんが離婚したと言う事で昨日会見をしていたんですが、いつも感じるのが「なんで人の不幸を大っぴらにするんだろう」ということ。例えば、一般人であれば、慶事である結婚のお知らせなんかは、身内や知り合い・友人にもお知らせしたりすることもありますが、これはどちらかの名字が変わるという事もあるし、結婚を機会に住所・連絡先が変わることもあるから、そのお知らせという意味もあると思うんですよね。同じ事は(逆の意味で)離婚するときにも起こりうるわけですが、お目出度いことでは無いので結婚の時ほどは大っぴらに回りに知らせると言うことは無いですよね。まぁ、人の気持ち的には、離婚=失敗、みたいなネガティブな意識があるから、それ程積極的に知らせたくないという気持ちもあるだろうし。

タレント、芸能人、著名人と言う人にとっては、結婚だろうと離婚だろうとああやって公にしないといけないのは、一つは色々なタレント活動での契約事項との絡みがあるかもしれないけれど、それでもそれは「告知」のみで、わざわざインタビュー受けたりする必要まであるのだろうかと凄く違和感を感じます。別にタレントさんを擁護するつもりは無いけれど、良い事でも悪いことでも、公にする・しないという判断は自由じゃ無いかと思うわけです。

メディア、と言うか、この場合は「芸能記者」という人達なんだろうけど、結局は彼らの商売のためにタレント側もお付き合いしていると言うことなんだろうか。また、色々挨拶しなきゃいけないところ、仁義を切らないといけないところも沢山ある中で、ああいう形で公開することで、仮に手が回らなかった場合にも言い訳が出来ると言う事も、タレント側も考えているのかもしれませんが。

もう一つ気になるのが、今回の発表理由が、今週発売の週刊誌にスクープされているので、その前にということもあったとか。例えば、本人同士だけで無く、子供とかその他色々な理由から発表をもっと先に考えていたのに、急に週刊誌対策でそれを早めたために、子供に影響があったとか何か不利益が発生した場合、そのスクープした週刊誌の責任というのは生まれないのだろうか。発表後に、あの離婚理由はどうとか、どう言う経緯があったのかというような話を記事にするのは分かるけれど、第三者が一番個人的な話を取材して当事者の了解を得たのかもどうか分からないけれど、それを公開すると言うことが、幾らタレントという「公人」に近い存在であっても一寸違うんじゃ無いかと感じるわけです。

「知る権利」とか「報道の自由」、あるいは「個人のプライバシー」と言った問題等の境界線が曖昧なところがあるから、こういうことが起こるんだと思うけれど、結局はビジネス競争(スクープ競争)に邁進しているメディア自身が、自らの「報道の自由」を拡大解釈しているような気がします。まぁ、今回のようにFAXで発表して、さらに記者会見までやるかどうかはタレント側の理由でもあるけれど。中には、Blogで発表してお終いとか、FAXを報道各社に配信してお終いと言う人もいたわけですから。

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