2015年3月5日

70年目談話

今年8月に発表されると予想される、安倍総理の所謂「70年目談話」。特に韓国は、50年目の「村山談話」、60年目の「小泉談話」からの変更は許さない、後退は許さない、と鼻息荒いけれど、村山談話にしても小泉談話にしても、発表当時は「不十分、反省して賠償しろ」と言われているわけです。でも、より前向きな内容にしようという話が出てくると「村山・小泉談話を維持しろ」と言ってくる。要するに、自分達のルール以外で物事が進むことは揺らさないわけですよね。さらに彼らとしては、この問題が本当に解決されてしまったら日本に対して優位に話が出来るものが無くなるわけで、そう言う意味で彼らにとって必要なのは、未来永劫にこの話題が日韓で存在し続けること。それを考えると、何を言っても無駄だし、何をやっても無駄。ここ数日、外務省のHPで韓国の説明のところから「基本的価値を共有する]という文言が削除されて、単に「重要な隣人」に変更されたとのことですけど、その現実を相手側も理解しないと。もっとも、例によって延髄反射じゃ無いけれど[けしからん]という論調ばかりみたいで、頭が痛くなりますが。

歴史に「IF」は無いけれど、もし日本が韓国を併合せずに、地勢に任せるままロシアなり中国なりに侵食されることを許していたら、現在の日本はこんなうざったい問題に悩まされることは無かったかも。でも、ロシアや中国の風潮が韓国人気質に反映されたら、今以上に扱いづらい面倒くさい存在になっていた可能性も大きいわけで、短い期間だけどある程度日本人が介入したから、この程度に収まっていると言う見方もあるんだろうか。

いずれにしても、最近は多くの人がそう思っているように「変な奴には近寄らない、触らぬ神にたたり無し」を実践するしか無いでしょうね。だから70年目談話も、そんな長途半端な話は残さない方が良いと思うけれど、韓国や中国は無視して、それ以外のアジア、大洋州の各国地域に向けた話にしちゃえば良いわけです。中国・韓国はお望み通り、村山・小泉談話がそのまま真残っているから満足でしょ? それ以外の国々地域とは、未来志向で協力体制を進めていけば良いわけだから。あと「70年」とか年数を入れるのも止めれば。今回70年としてしまうと、次は80年だ90年だ100年目だと言う話が絶対出てきますから。半世紀と言う区切りでの50年とか、十干十二支一回りでの60年なら、まだ理解しないでもないけれど、70年ってどう考えても中途半端でしょ。無いとは思うけれど、「日本は言葉では無く、態度ど実績で世界平和に貢献する。従って、言葉での表明はこれを最後とする」くらい言っちゃえば凄いけれど。

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