2015年2月24日

二枚舌社説

与那国島陸上自衛隊配備の是非を問う、住民投票のの地元紙の社説。楽観視していたのか、投票前には「結果を尊重せよ」と言っているのに、意に反した結果が出た後には「複雑な民意を踏まえよ」と投票前の意見とは150度位異なる内容。それを言ったら、昨年投票された沖縄知事選だって「複雑な民意を踏まえ」無いといけないんじゃないか? 基地移設問題は重大案件だけど、先ずは普天間の安全性を確保するのが最初で、さらにどうやったら沖縄の基地負担軽減できるか、と言う話をしなきゃいけないはずなのに、かたくなに「辺野古はダメ」と全てを保留するだけ。

「社説」と言えども一人の担当者が全てを記載しているわけじゃ無いかもしれないし、たまたま異なる意見の人が前後に書いたのかもしれないが(棒読み)、「社説」として公開する以上は、そのメディアの姿勢なり方向性を表したものと理解するのが普通。それが首尾一貫していないというのは、メディアとしての役割を果たしていないのでは? 事前の社説で「結果にかかわらず配備反対」とか言っていればまだ納得出来るのに、自分達の立場に影響するのが嫌なのか、「民意」という他者に意見を言わせる形で自分達の意見を公開するという、メディアとしての責任の無さ。メディアなら「我々は、地元の民意は斯く斯く然々だと理解するから、投票結果がどうあろうとこうこうしかじかするべき」という書き方なら、その後の結果がどうあろうとそこから「結果を受けて、我々はこう考える」という論理が展開出来るだろうし、それはメデイアとして自らの立場を表し、批評(批判じゃなくて)する機関として正しい姿だと思うんですよね。でも、自分達の意見としては公表せず、「回りがこう言っているからこうすべきでは」という言い方が卑怯ですよね。

「言論の自由」「報道の自由」は守られるべきものではあるけれど、その為には大きな「責任・責務」もあるわけで、そのリスクを負わないメディアには、そう言う自由は制限される、あるいは自由を声高に要求する権利も無いと思う。

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