2014年11月20日

政治の「大義」とは

衆議院が解散されることになり、野党は一斉に「大義なき解散」と非難を始めているけれど、解散権は首相の専権事項であることを考えると、「大義」云々を言うのは一寸変かも。先の小泉元首相の「郵政解散」にしても、参議院の確執を衆議院で敵を討つような解散だったわけで、あの時も場違いじゃ無いかという意見は出たけれど「大義が無い」と言うほどのコメントは、どのメディアにも無かった気がします。其れ以前でも、例えば吉田元首相の「バカヤロー解散」とか、大義の「た」の字する内容な解散もあるわけだし。で、その「大義」に関しても、実はこんな意見もあるというのを見て、なるほどなと感心したり。

「大義」という物を、誰にとっての大義なのかという事もありますよね。まぁ普通に考えれば「国民」だろうけど、国民にとってより良いことをしようと、その人が思って行動したとしたら、それはそれで「大義有り」と言われても仕方ないだろうし。また、少し昔であるならば、革命とか暗殺とか反乱みたいな事まで「大義」を理由に生まれたこともあるわけだから、そう言う意味で「大義」もそこそこにする必要があるかも。どっちもどっちだと思うけれど、端から見ているとまだ選挙は先だろうと準備不足の野党側が、「それは無いだろう」と必死に抗弁している理由に、「大義」なる便利な言葉を利用している、と言う風に映ってしまう。まぁ、対する与党側も100%の準備が出来ているわけでは無く、慌てて選挙事務所の準備に走る議員もあるくらいだから、そう言う意味では五分五分と言っても良いのでは。

そんな中で踏まんことを言えば、やはり構造改革なり社会システムの変革という、抜本的な改革が目に見えて実行されていないという事でしょうか。多くの人にとって、理想的な日本経済の復活は、1980年代の頃のような好景気の状態に戻ることなんでしょうけど、既にあれからの30年余りのうちに日本だけで無く世界の経済システムが変わっており、あの頃の状態に日本のシステムが戻ることはもう無いわけです。今の世界システム似合った形で、日本の中で仕事を生み、お金が回るような流れを創らないと行けない。色々方法はあると思うけれど、やはり規模・数のメリットを生かさないと、今の日本の中でビジネスを回していくのは厳しいですよね。唯一、世界唯一な技術とか誰も真似できない専門技術は、小規模な形でも生き残ることは可能化もしれないけれど、それでも厳しいと思うし、そう言うものを含めた大きな組織を作らないと、これからは生き残れないと思う。

その典型なのが農業で、今回JAの改革とか話題にはなったけれど、まだまだ抵抗が大きいのも事実。まだまだ小さな動きだけれど、半導体メーカーなどがそのクリーンルーム技術を生かして野菜工場ビジネスなんかに進出していますが、本来なら「農業」という産業構造の中で、先進技術の一つとして彼らが推進していかなきゃ行けないと思うんだけど。結局古い体質にを守ること、その安定した構造に満足していることが間違いなのはもう明白。お米や麦、大豆や一般的な野菜など日常使うような種類の大量生産で低価格を追求しつつ、海外輸出も含めて高付加価値野菜を生産出来るような、多分どこの企業でもやっている体勢っていうのを作らないと、多分どんどん衰退していくだけでしょうね。最悪のケースは、国内で生き残るために、農家が高付加価値野菜にシフトしてしまって、今では抵抗しているお米なんかでも、もう輸入するしか無くなるかもしれない状態になること。仮に今度の選挙に何か意味を期待するとしたら、是非選挙後にそう言う改革をもっと進めて欲しいところです。「大義」があったかどうかは、後から意味づけされるもんじゃないだろうか。成功すれば「大義」だし、どんな良い考えであっても失敗すれば何も残らないだろうし。

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