2014年9月8日

ゆとりじゃ出来ない成果

この週末は「錦織フィーバー」とでも言うのか、話題を総ざらえした感じですよね。まぁ、これまで誰も日本人ではやったことの無い、全米オープンテニスで、しかもランキング1位のジェコビッチ選手を接戦の末破っての決勝進出ですからねぇ。テニスには詳しくないけれど、今回の錦織選手のプレーの様子を見ていると、以前と比べて明らかに違うなと素人ながらに感じるのは「力強さ」。以前の錦織選手だと、準々決勝とか準決勝とか良いところまで行くような良い試合があるんだけど、そこで力尽きるというか、次の試合では途中から崩れていく印象があるんですよね。でも今回は、「マラソンマン」と現地メディアが呼んでいるように、凄くタフさを感じます。画面で見ていても、以前と比べて体が一回り大きくなったような印象を受けるんですよね。

で、何かの番組でとあるコメンテーターが「(錦織選手も含めた)最近活躍しているのは、ゆとり世代の若者。だから、(非難されることの多いゆとり世代だけど)見直す機会」というようなコメントをしていたけれど、それは一寸違うんじゃ無いだろうか。「ゆとり世代、ゆとり教育」って、詰め込み式の勉強方法では無く、自分のやりたいことを見つけられるように色々な機会を与える、みたいな趣旨だったと思うけれど、結局何人何%の人間が自分のやりたいことを見つけて、達成できたんだろうか。「ゆとり教育」って学校にしても親にしても周りにしても、無責任な時間を増やしたことのデメリットの方が大きかったように感じます。それまでの詰め込み式の教育方法が良いとは思わないけれど、色々なことを知るチャンスは多かったように思うんですよね。それに、錦織選手にしても「ゆとり教育」からテニスを選択したわけじゃ無くて、自らの意思で早い時期から米国に出て自らより厳しい環境で鍛えることを選択したわけで、それっていわゆる「ゆとり教育」とは真逆な話だと思う。

決勝の相手も錦織選手のように下馬評を覆しながら決勝まで進んできた似たようなタイプ。苦しんできただけに何とか優勝を手にして欲しいけれど、後は精神力の戦いかも。どちらも勝てば初優勝、錦織選手が勝てば初のアジア系選手の優勝らしいけれど、やっぱり優勝して欲しいなぁ。吉報を待つのみ。

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