2014年8月10日

礼儀正しく徹底的に反論する

舛添東京都知事の記者会見から。質疑応答最後にこんな事を言っているんですが...

「総理が今日、明確におっしゃったのは、我が日本というのは、どのような悪口を浴びせかけられようと、それだからこちらも悪い事を言っても良いというような事はないと。正確に言うと、日本人というのは和の精神、そして寛容を重んじて、どのような時でも礼儀正しく、他者に対して謙虚でなければならないと。一部の国、民族を排除するような言動は極めて残念であり、あってはならない事なのだと。だから、他の国の人が、どう悪しざまに我々日本人に言っても、我々は、そういう事をやらないのだと。」

問題になっているヘイトスピーチをしている団体に対しても、それに対して「カウンター」と称して同じ事をやっている団体に対しても、全く共感できないしどちらも消えて欲しいと思っています。ただ、それらの低俗な行為と、もっと崇高な意味のことが混同して都知事は述べているような気がします。

確かに日本人の精神というか性質としては、和の精神もあるし謙虚である事も美徳とされています。島国、狭い生活圏の中で多数の人間が共同生活するという環境故にそう言う国民性が形成されたとも言われるけれど、元来争い毎は望まない傾向にあるのは確かだと思います。正し、物事にはなんでも限度があるわけで、その限度を超えたときにどうなるか分からないのも日本人の特質では。先の太平洋戦争なんかは、まさにその例じゃないでしょうか。仕事の時でも、海外の取引先と商売すると、日本人は何でも難題を聞いて達成してしまうけれど、ある時突然クレームしたり取引停止したりして、その間の状況が分からない取引先は面食らうばかり。

海外の常識では、出来る事・出来ない事は明確にして、自分の達成目標(Commitment)を完遂することが最大の美徳なんですよね。だから礼儀正しいというのは、日本人が良くデフォルメされるような、何でもはいはいとお辞儀をして受け入れることでは無く、そう言う出来る・出来内を明確にして、出来ないならば何が理由でどう言うアクションプランがあるのかを提示するのが「礼儀正しい姿勢」。だから、礼儀正しく、我々の理解はこうである、相手の主張しているこれらの点は、こういう理由で間違っていると認識する、だから何々の主張はこちらに義が有る、と主張すれば良いわけです。

相手が間違ったことを世界中に主張するという卑怯な手法を使用しても、寛容な日本人は決して同じような方法はとらない。礼儀正しく、謙虚に、正確な事実のみを、しかし圧倒的徹底的に世界に広める努力こそ、今の日本がしなきゃいけ無い行動じゃ無いですかね。相手がどんどんエスカレートして、その態度が誰が見ても以上だと世界が認識すれば、当然それまでの理解の根底が間違っていたと認識して、より理論的で理性的な日本の主張が、直ぐにでは無いけれど浸透するように思います。勿論、それだけの事を長く強力に推し進める、意思と力と資本は必要ですけど。でも、世界で唯一日本を非難している、中国・韓国の異常性は徐々に理解されてきているから、後は日本が紳士的に振る舞い、それらの異常性を総体的に強調していくことが重要では。

まぁ、ヘイトスピーチの行動だって、元々は韓国が始まりな訳だし、そういうところはちゃんと主張しないと。あるいは中国の反日行動も、最近は押さえられているけれど、二言目には「日本の態度が」という中国政府に対して「自らの齟齬を人のせいにしないで欲しい」とぼそっと言えばいいのに(笑)。日本は日本で、文化大革命研究会とか、天安門事件研究会とか、こそっと立ち上げて主張していくとか。そう言ういやらしさを、少なくとも外に向けては見せないと、結局は舐められて終わりですからね。日本人は性善説で動きがちだけど、外の世界は性悪説で動いているわけだから、それならそれで相手に合わせるのも「礼儀」だと思いますよ。

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