2014年5月20日

矛盾した主張

民主党・枝野氏の、さいたま市での発言内容について。最初の疑問としては、日本の自衛隊は集団的自衛権を付与されることで「世界の警察」を目指すのか、ということ。「世界の警察」といえば、アメリカの軍隊の事だと思うのだけれど、あれだけの規模にする予定も予算も自衛隊には無いだろうし、大体その「世界の警察」のアメリカにしても「志願制」なんですよね。なんで

世界の警察をやるような軍隊をつくるには、志願制では困難というのが世界の常識だ。」

と言えるのか不思議。アメリカ規模の軍隊というと、後はロシアに中国位だと思うんだけど、中国も志願制ですよね。ロシアは徴兵制だけれど志願制への移行を考えていると聞くし、一寸調べてみると先進国と言われているような国々ではほとんど全て志願制で、どちらかというと中進国とか国家規模が小さめの国の方が徴兵制を取っていますよね。

よく言われることだけど、日本の戦国時代の戦いのような「人vs人」の戦いなら、数の勝負で勝敗も決まるだろうけど、近代戦のように「近代兵器の戦い」となると、人の数という「量」よりも、その人のスキルという「質」で差が出るわけで、闇雲に頭数だけ揃えれば良いなんていうもんじゃないのは、軍隊以前に会社とか組織だってそうです。多分に思うのは、この人達の頭の中は、第二次大戦中の「赤紙」から成長していないんじゃ無いか、と。あるいは、真偽は別にして、世間の関心と賛意を得ようと、意図的に誘導しているのか、とも勘ぐってしまう。

例えば、コンピューターの誕生は、大砲の弾道計算のためであったし、今や生活に欠かせないGPSだって、もともとは軍事情報です。三菱のエアコンの「ムーブアイ」だって、ミサイルの赤外線シーカーから来ているわけですからね。そんな風に、軍事研究から民間技術にスピンオフしてきたものも沢山あります。最近ではUAV(無人機)が良く話題になるけれど、最近の戦いっていうのは機械化・無人化競争でもあるんですよね。勿論、100%人間が要らないわけでは無いけれど、実は必要スキルは変わってきています。最近の映画「エンダーのゲーム」じゃ無いけれど、シミュレーションゲームとかの達人の方が、最近では望まれるのかも。

軍事評論家でも無い自分がこの程度の事が分かるのに、責任ある政治家が旧態依然の理解や知識でこれからのことを左右するというのは、そっちの方が凄く危険な気がする。

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