2014年5月15日

「美味しんぼ」と「プロメテウスの罠」

収束するどころか、どんどん広がりを見せそうな「美味しんぼ」の鼻血問題。色々な意見があるなか、朝日新聞の連載コラム「プロメテウスの罠」の中の表現はどうなんだという意見もあります。例えばここでは窪田順正氏が取り上げているけれど、朝日新聞の方が表現はもっと深刻だったわけですよね。ただ、同じような内容であっても、その記述なり文章が登場したタイミングも考えないと、一概に悪い・良いとは言えないんですよね。

今「プロメテウスの罠」を読み返せば、内容として、情報として、記述として、「これは変だろう」という部分は多々あると思います。例えば、今回の「鼻血」についても、今の「美味しんぼ」以上に不適切な表記はあるんですよね。ただ、当時は、科学的におかしいと思っても、震災直後と言うタイミングではなかなかそれを指摘する勇気が無かっただろうと言うこと。さらに、震災直後のストレスや混乱もあって、そう言う理由から体調不良や鼻血をおうこともあったでしょう。だから、放射能などの原発由来の理由では無かったかもしれないけれど、現象としては当時は「正しい」こともあったのではないかと。そこが、当時の「プロメテウスの罠」と、今の「美味しんぼ」の差だと思うんですよね。

とは言っても、「プロメテウスの罠」はドキュメンタリーというかノンフィクションなわけだから、どこかでレビューをして、今だから確認できること、今は間違いと特定できること歯ちゃんとフォローして欲しい。でも、そう言うことは絶対と言って良いほどやりませんからね、メディアなるものは。「嘘」とまでは言わないが、思い込みとか自分達が正しいと思うことを先ず結論において、それを補強する形の現象を集めて一つの「ストーリー」を作るというのは、よく考えたらこの新聞社、前科がありますからね。慰安婦問題にしても、間違った報道を指摘されても、その肝心なことはうやむやにして、議論の方向性を変えることで自分達の過去の活動を正当化しようとするところなんか、どこかの国が余所の国でやっていることと同じじゃ無いかと、小一時間(笑)

そのうち誰かが検証記事でもある「『プロメテウスの罠』の罠」みたいな記事を書いてくれないだろうか。そこで重要な事は、時間の経過と共に、情報の価値や方向性が変わると言うことを明らかにして、それが良い・悪いでは無く、どうしてそう言う理解になったのか、その理由と、それが当時の評価として適切なのかと言う事を明らかにすべきですよね。「鼻血問題」にしても、震災直後の状況を考えれば、その原因は多々あれど実際に多くの人が経験したことでしょう。だから、それはそれで正しい。ただ、じゃぁ同じことが今現在も起こっているのか、あるいは本当に放射能由来の何か病気や症状が今も続いているのか、そういう部分は正さないといけません。

たまたま発表したタイミングが良かった(事故直後)のと、大手メディアのドキュメンタリーという後ろ盾があったから、非難どころか賞まで取る作品もあるし、タイミングが悪くてしかも「漫画」という誰でも突っ込みやすい媒体が故に、炎上する作品もあります。さらに言うと、SNSを中心に騒ぎに乗りやすい個人も多くいるのも確か。某かの「批評」をするのであれば、それは表現や方法論は問われないだろうけど、単に鬱憤晴らしのために「非難する流れに乗るだけ」っていうのは、もうちょっと情報リテラシーを学ばないと駄目でしょうね。まぁ、ある意味「躾け」の話にもなるんだろうけど。USでの某国の傍若無人な行動もそうだけど、「情報」という観点で見ると、発信量の多さと信号強度の強さが、成否を確定するっていうことがよく分かります。そうなると、躾の良し悪しだけじゃ無くて、ちゃんと自分の意見を通す「狡猾さ」みたいな物も必要なわけで、その点に関して言うと「美味しんぼ」も「プロメテウスの罠」も、それぞれどちらも満足している点は素晴らしいと言って良いのだろうか。

「情報」というものは、含まれる内容だけで無く、それが発信された「時期」も含めての「品質」なんだと実感しますね。

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