2014年2月28日

敷居が下がる

読売新聞に掲載されている、佐々江駐米大使のコメント。かなり端折っているんだろうけど、「日中双方の若い世代」というよりは、「日中韓相互の若い世代」と言うべきか。で、ネット上でのそれぞれのやり取りを懸念しているという風に受け取れるわけですが、これはインターネットの普及により相互のコミュニケーション手段が発達してきた「コスト」とも言えるんじゃ無いかと思うわけです。個人レベルのコミュニケーション手段としては、少し前までは手紙とか電話とか、1対1の方法しか無かったわけです。そこに、BBSとかNewsGroupという、特定多数による情報共有手段が生まれて、多数による自由な意見交換が可能になりました。

当時のシステムは、利用者も限定されていたし、IDを使っていたけれど誰なのか特定も可能。また、利用するにはある程度の設備と技術が必要だったので、利用者のリテラシーもそれなりに期待出来ました。それでも、時には"Flame"と呼ばれる、文字通り「炎上」騒ぎが生まれるわけです。現在では、コミュニケーション手段も手軽に誰でも利用出来るようになり、さらにだからこそ参加者のリテラシーもどんどん低くなってきたわけで、そうなると言葉尻を捉えて以前に、最初から臨戦態勢で参加する人間だっているわけです。自分の知識とか経験値を深めたいから、広く色々な情報に接したいというのが本来の目的であるはずが、自分の意見を通したいという欲求に変わってしまうのが、最近のコミュニケーション事情の問題ですが、それも誰でも相互に情報共有できると言う利便性に対して払うコストでもあるんでしょうね。

個人的に問題だと思うのは、そう言う一般素人のやり取りに、プロであるメディアも便乗していることでしょう。メディアによって、会社としてあるいはその記事を書く帰社としての意見が出るのは良いとしても、その情報のベースとなるべき情報提供から少し偏向している事があり、それを理由にさらにねじれた意見を公開するメディアが多いこと。しかも、その中でかかれている内容が、若者相互のやり取りとそんなに違わないというレベルの低さも反省するべきじゃ無いかと。

佐々江駐米大使は最後に中国に対して一言言っているけれど、もっとそう言う発言を日本は公開しなきゃ。黙っていれば周りが理解してくれる、というのは日本人だけの日本国内だけの話であって、一歩外に出たら「沈黙は同意」と思われますからね。海外の多くの国では、そう言うある意味競争社会の中で生きてきたから、正しいかどうかは別にして自分の主張をすることは普通のこと。その点は、日本人にとってまだまだ敷居が高いのかも。そう言う意味では、日本人ももっと外に出て揉まれる必要があるでしょうね。

0 件のコメント:

コメントを投稿