2013年12月15日

お葬式の目的

こんな事やってたんですね、杉並区で。「特定秘密保護法のお葬式」と言うことは、「特定秘密保護法」さんが何らかの理由でお亡くなりになったので、その方の生前を偲び葬送の式を催したと言う事で、このお葬式を開催された人(達)は、「特定秘密保護法」さんには、もっと長生きして頑張って欲しかった、ということなんですよね。それって、彼らの立場とは反対なんだけど、それをもってして「ブラックユーモアー」と言っているのだろうか。

少し前に、虐めでお葬式を上げられて、それで自殺した子供がいたと思うんだけど、このお葬式も体の良い虐めみたいなもので、なんの共感も感じられません。彼らが法案に対して反対の意思表示をするのは自由だけど、それで法案が良くなる、あるいは廃案にすべきと真剣に考えているなら、ちゃんとルールに則ってそう言うアクションをすべきで、こう言う外面だけ大げさに騒いで結局何も変わらないことをやって満足しているのは、大いなる自慰行為以外の何物でも無いですよね。それに、反対する示威行為をしたいならちゃんとそれも許されているんだからデモ申請をして反対と言えば良いのに、「お葬式だから申請していない」とか、何かでも申請しないことが正義のようなことを言われてもしらけるだけです。

というか、「お葬式」というのは宗教上重要な儀式の一つだと思うのに、宗教界はこう言う使われ方をしたことに対して反論しないのだろうか。まぁ、こう言う人達と関わり合いたくないのかもしれないけれど。

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