2013年12月2日

メディアのすり替え

自民党石破幹事長のBlogでの発言が物議を醸しています。大手紙では「デモはテロ行為」という見出しをつけているところや、「絶叫戦術はテロと余り変わらない」という本文の記述を「絶叫デモ、テロと変わらぬ」と微妙に見出しを変えて誘導している所とか。

石破氏の元の発言は、至極最もだと思います。ただ、最後に「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質は余り変わらないように思われます。」と入れた一言が迂闊でしたね。「単なる絶叫戦術は声の大きいものが正義となるような非民主的な行為と思われます。」とか「単なる絶叫戦術は自分の主義主張に無理に同意させるような強制的な手法では無いかと思われます。」とか、同じ事を言うのにも言い方があると思うんですよね。個人的には、拡声器を使ったりして周りの迷惑を顧みないああいう「デモ」は迷惑行為以上のものであるとは思うし、「テロ行為」と言いたくなる気持ちもよく分かるけれど、でもそれなりのポジションにいる人が言う言葉じゃ無いですよね。

ただ、それ以上に怖いのは、元々の文章を読めば石破氏の言いたいこともよく分かるし正論であると思うのに、それを自分達の意見や考えに沿うように「加工」する大手メデイアの怖さ。「言葉」とか「文章」についてそれなりに権威や自負を持つ集団が、素人でも読めば分かるような文意をあえてねじ曲げて公共に公開するというのは、その影響力を考えると怖いですよね。元々の記事では「絶叫戦術を批判」していたのが、その「絶叫戦術を実行していたデモ批判」とするのにも無理があるのに、いつの間にか「デモ行為批判」と報道される、所謂「公共メディア」なるものに、もっと注意しないと。情報ソースは必ず複数確認する、一つの情報だけで鵜呑みにしない、自分の主義主張・考えと同じでも違っていても先ず疑ってみる、というような「情報リテラシー」をもっと磨かないと。

例えば「スピードを出し過ぎたり、乱暴な運転の車は、時に人を傷つけたり殺したりする。場合によっては武器にもなりうると考えます。」という文章を、「自動車を武器と批判」と言うようなもんでしょ、今回の場合は。で、「武器」という言葉に反応して、元々の意味とは異なる方向の記事に仕上げてしまった、と。例えば「武器」ではなく「凶器」という言葉にすれば、実はよく見る一般的な話になるし、多分曲解されることもないでしょう。その部分は先にも書いたように甘かったと思います。あるいは、その文章で使われた言葉を拾い出して繋げたから捏造していないと言う反論はあるのかもしれないけれど、言葉って言うのはその文字だけで意味が繋がるものじゃ無いわけだし、素人が個人で書くならまだしもプロフェッショナルな人達がそういう事を堂々と実行して主張するというのは、よほど恣意的なのか、あるいは無知なのか...

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