2013年9月2日

「分かりやすい」という事

昨日の午後、何気にテレビのチャンネルをザッピングしていて、関東以外で放送されている「たかじんのそこまで言って委員会」をちょっと観ていました。幾つか話題を用意して、順番にアーダコーダいう形式だったんですが、その中の一つに、池上彰氏の話が登場していました。先日の参院選選挙速報番組も含めて、歯に衣着せぬ質問や分かりやすい解説で有名かつ人気のあるキャスター氏ですが、賛否はいろいろあるみたい。個人的には、賛否なんて6:4位で賛成が少し多いくらいが一番自然であると思うので、それは良いんですが聞いててふと感じたのが「説明が分かりやすい」という部分。

池上氏の話や説明が分かりやすいかどうかは、その人の感じ方にもよるので一概には言えないと思うんですが、彼の番組何回か観て思ったのは、そのテーマを出来るだけ単純化して、二値判断出来るような形で示して、視聴者(や、その番組参加者のひな壇芸人さん達)が「判断しやすい形」にしていることが「分かりやすい」という認識になるんだろうな、ということ。そのことは決して悪いことじゃ無いと思うし、説明の仕方としては難しい話を単純化する事も重要な事なので良いと思うんですね。ただ、それが単純化できる話題ばかり出ないのが世の中の話だし、また単純化すると言うことは、あるいみ周りの余分部分はどんどんそぎ落として行くことにもなるわけだから、必ずしも現実にマッチしているわけではない。

また、単純化の作業では、「嘘」とまでは言わないけれど、特異的な話とかある程度曖昧な部分もどちらかに収束させて単純化していくわけだから、そういう部分は曖昧あるいはどちらかに統合されてしまい、何も知らない人には分かりやすい話が、多少分かる人にとっては「えっ?」という話にもならざるを得ません。そういう部分が、彼の評価の分かれるところだとは思うけれど、多分今のような「ニュースや話題のエバンジェリスト」的立場から離れて、純粋に批評家とか論評者みたいな立場で仕事をしたら、もっと面白いかも。

自分が知らない事とか明るくない話題やテーマについて何か知りたい知識を得たい場合には、自分に知識や理解力が無い状態だから、まずは最も単純的な結論を得たいわけです。ただ、そこで止まってしまうと偏った認識・理解にとどまってしまう可能性もあるわけで、その先をさらに見通す、あるいは知識を掘り下げると言う事をすることが重要だなと再認識した次第です。自分も、コンピューターとか技術的な事については平均以上の知識や経験があるわけで、そう言う分野の話をニュースとかテレビで見聞きすると、結構いい加減というか、曖昧というか、そう言う印象を受けることがよくあります。自分の得意分野だからそう感じることが出来るわけで、でも自分が知らない分野についても同様だろうなと思うことが重要なんでしょうね。

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