2013年7月27日

普通の有難味

少し前に新聞報道された、JR南浦和駅で女性が電車とホームの間に落ちたところ、乗客が協力して車両を傾け救出下というニュース。これが世界中に配信された、日本国内以上の反響を生んでいるというニュース。正直、最初にこの事故のニュースを聞いた時には、「あぁ、大事にならずに救出されて善かった」という感慨しか感じなかったけれど、まぁ日本人以外の人に取ってみたら"Amazing!"とか"Awesome!"っていう現象でしょうね。さらに、事件発生から女性が救出されて、再び電車が運行開始するまでに8分で完了したと言う事も、多分救出劇以上の驚きとして報じられるんだろうなぁ。

勿論、程度の差はあれど、どの国の人にもこういう協調精神はあると思うけれど、まぁ日本人の場合はそれが「普通」に生まれてくるという事が手前味噌ながら凄いと思いますね。東北の震災の時、都内の交通機関が停止して、駅の階段等で座る様子が配信されたときに、両端や中央の手すりに沿って座り、階段を上り下り出来るように真ん中部分は明けてある様子に世界から感嘆の声が出たんですが、その写真の様子を普通に感じて見ていた自分は、逆に世界からそう言う反応が出てくる方がビックリしたくらい。

例えば、何か教育の一環として訓練していて、その結果としてこういうことが出来るなら別に驚きは無いけれど、特にそう言う事は無くてもこういう行動がいざというときに出来るというのは確かに凄いと思います。ただ、具体的な訓練はしていないくても、社会とか家庭とか日常の中での雰囲気とか常識の習得というところでこういう方向性がだんだんと刷り込まれていく、というのが日本の社会の「隠れた秘密」なんでしょうね。

それでも、自分の子ども頃と比べると、どの町内にも必ず居た口うるさく礼儀作法を躾ける、じいさん・ばあさん、みたいな存在は無くなりつつ有り、逆に日本以外の世界の文化やマナーが入りどうかしていっている現在では、これまであった日本の隠れた秘密も希薄しつつあるのかもしれませんね。でも、それもまた新しいマナーへと変化していく過程であると思えば、あながち悲観する必要は無いんじゃ無いだろうか。どんなものでも、価値があるものは残るし、目立つものであっても評価されないものは、その時代からは消えていくのが「自然の摂理」なわけですから。

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