2013年7月23日

自分達の声が届かなかった

選挙明の月曜日、朝から夜までテレビのニュースは選挙の総括一色で、まぁどのチャンネルも各党の代表者を並べて自公には大勝の理由と今後の政策を、野党には敗戦の弁を述べさせます。その中で、野党側がほぼ口を揃えて行っていたのが「自党の政策や声が有権者に届かなかった、浸透しなかった」という言い方。これにはちょっとカチンとくるわけで、つまり有権者が自分達のありがたい考えを受け入れるだけの力が無かった、と言う事を言っているわけですよね。

予め支持政党があるとか、指示している候補者が有るような場合には、勿論それに関する政党以外の話は余り効かないかもしれないけれど、いわゆる「無党派層」はそれなりに各党の意見なり態度を見ていたはず。例えば、組織の規模や力の違いでカバー出来る範囲に違いがあれば、見た・見ないという差は生まれるかもしれないけれど、それは有権者の責任では無くて政党側・候補者側の理由。

今回の場合で言えば、民主党政権でがたがたになった経済がやっと上向きになり、さらに6年間のねじれ状態で「何も決めない政治」が続いて嫌気が蔓延していたから、多くの人はセカンドチョイスも含めて自公に票を入れたと思うんですよね。少なくとも衆議院は自公が2/3を占めているわけだから、参議院に関しては万一の場合には停滞すること無く議案が達くらいの差にしたいという気持ちが強かったように思います。それが、戦前の予想では参議院も自公で2/3を超えるかという優位が、実際にはその手前で止まった最大の理由じゃないかと。そう言う意味で、選挙制度というのは上手く出来ているなと感心したりしています。

あと、やはり野党側が「一般の人の気持ちはxxxxだ」と、アンケート調査や意識調査の結果を理由に、だから与党は駄目だみたいな事を言うわけですが、それを言うならば内閣支持率が60%以上もある現状をどう考えるのか。確かに、一般的なアンケート調査は一つの民意ではあるけれど、システムとして決められた選挙という禊ぎを受けた以上、それが受け入れるべき民意であると言うことも理解しないと。その上で、何でも反対じゃ無くて、政策毎に、案件毎に、是非を考える「大人の政党政治」というものを見せて欲しいところです。唯一議席を倍増させた某野党党首が、「民意は内にある」みたいな事を言ってはしゃいでいたけれど、そうじゃ無いでしょう。アナクロ的な意見でも、変わらない野党だから取りあえず安全パイとして緊急避難しただけだと思う。善く野党は「与党は謙虚に」と言うけれど、野党だって政党ならば、国民に対して「謙虚に」対応して欲しいですよね。選挙の議席が結果では無く、それがスタートであり、その後の政策が訳我に対しての結果=アウトプットなんだから。何となく、選ばれたら終わり、という雰囲気を毎回感じるので、選挙明けの月曜日は、何となく不愉快(笑)。

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