2013年3月10日

最後の一言が様にならない

サンデー毎日に連載(?)されている、毎日新聞客員編集委員・岩見隆夫氏の「サンデー時評」。なんか、その内容はともかく、最後に一言「今週のひと言」が、本文からの流れでも無く、脈絡無く意味不明なのが、この人がテレビのコメンテーターとして話しをしている時の流れそっくりで笑ってしまう。

過去の記事を見てみると、

  • 著名人が続けて他界した事を取り上げた後の一言が
    アルジェリアの悲劇、政府、企業に責任はないのか。」
  • 安倍総理の演説内容にクレームした時の一言は
    自殺は減ったが、他殺は増えた、のじゃないか。」
  • 読者の投稿から、戦争回避ともし万一突入した時の国の心構えの話の後の一言は
    体罰、暴力騒動のさなか、熱海・相模湾に雄大な虹を見、心洗われる。」
  • 新人国会議員が大量当選した話題の時の一言は
    きのう何が起きたか、忘れそう。」
  • 高野悦子氏の思い出のコラムの時の一言は
    「二月、いい話なかった。」
  • そして、今回の居所不明の小中学生のコラムの後の一言は
    おごるなよ、自民党。
エディターとしてどう言う意図があるのか無いのか。無いのなら、単なる個人的なぼやきを聞かされる読者の迷惑感くらい察して欲しいですよね。コラム部分で、起承転結しているはずだけど、そこからさらに何か読者に訴えたいことがアルカラの一言ならば意味があるけれど、本当に何か無理矢理最後に一言追加しているだけ。落語の「おち」では無いけれど、最後に一言入れるなら、ぽんと膝を叩いて納得できる話にして欲しい(あれ、こんな事昔も書いた記憶が...)。

ところで、今回の話の最後には、最近は女性のグループが目立ち、昔は母親が必ず家に居たけれど、子どもを蔑ろにしていないか、と締めているけれど、それって「男女同権」とか「雇用機会均等」とかいう話と逆行するのでは。せめて言うなら、「子連れ家族の旅行風景が少なくなった」とか言うべきでは。さらに、「帰宅すれば、必ず家族の団らんがあった」とか。確かに、筆者の子どもの頃ならば、女性は家にいて家事をするのが普通で有り、それが社会的に普通と考えられていた時代だったけれど、そこから何十年も過ぎている今の時代。時代に迎合する必要は無いけれど、しかし時代の流れは理解して、それにふさわしい内容にするくらいの努力は必要なんじゃ無いだろうか。

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