2013年2月27日

東京新聞の『絆』

東京新聞(=中日新聞)のコラム「洗筆」の24日の内容がお粗末な内容と話題になっているような。全文引用はまずいだろうから、前半の安倍総理の米国訪問で日米同盟の絆が深まったという話の後で、肝心の最後の部分を引用すると、

【▼「絆」は本来、犬や馬などの動物をつなぎとめる綱のことだった。束縛などの意味が生じ、強い結びつきという使い方は比較的新しいという。首相が絆を強調するほど、本来の意味を思い浮かべてしまう。

と、「絆」に引っかけて、相手の言いなりになってるんじゃないのという皮肉を言っているわけですが、少なくともメデイアならもう少し捻りを入れた方が良いんじゃ無いの? 「絆」は、今では「きずな」と読むわけですが、古語の最後の動物をつなぎ止める綱と言う意味では「ほだ(し/す)」と読むのが正しい。言葉によくある、元々の意味とは反対の意味を与える事で、そのことを強調するという事なんでしょうね、つなぎ止めるという意味が転じて、強い結びつきという「きずな」に変わっていったようです。だから、「本来の意味を思い浮かべてしまう」と書いているけれど、本来の意味であるなら「ほだす」と読まなきゃいけない。だから、安倍首相に批判的なアイロニカルな内容にしたいのであれば、例えば、

【▼「絆」は「ほだす」とも読み、動物をつなぎとめる綱のことだった。束縛という意味が転じて強い結びつきという「きずな」という意味が後に加わる。米国にほだされるのでは無く、本当の絆にしたい。

とかどうだろうか。文字数的にも収まっているし(笑)。

よく「メディアは公正中立」と言うけれど、私企業である以上、それって嘘ですよね。いろいろなメディアの論調なり記事を読んでいると、右とか左とか上とか下とか前とか後とか、いろいろと立ち位置が見えてくる。それはそれで、いいと思うんですよ。メディアの存在意義というのは、生データをそのまま投げることじゃなくて、何らかのフィルターを通して付加価値・選別して読者に投げることだと思うから。でも、それならそれで、ちゃんと自分の立ち位置は明確にするべきで、それを隠して「いゃ、自分は中立です」というのは、一番の大嘘つき。だから、そう言うメディアは信用できない。で、それ以上に、自分達の主張を言わんがために、何か支離滅裂な内容になったり、前後で主張が錯綜していたり、要するに情報劣化が激しいとますます感じます。特に、こういうコラムのように、短い情報量の中で、それなりに深い内容なり情報を提供しないといけない場合に、以下に元データを最適化していくか、と言う部分の力不足を感じます。素人の自分が感じる位だから、それなりに力のあるプロだともっと感じるんだろうけど。

「メジャーメディア」が、その情報内容では無く、情報様式によって読者の興味を引くなんて言うのは、まさに「メディアの衰退」の象徴ですよねぇ。

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