2013年2月22日

リーダーとしての振る舞い

何度か「リーダーシップ」について書いていますが、また良いネタ事例が生まれたので(笑)、思うところを熟々と。

鳩山元総理が、因縁のある沖縄を訪問して「沖縄の基地問題が解決しないのは、外交問題ではなく国内差別問題だ」と言ったという事。地元の沖縄タイムスにその様子が掲載されていますが、その内容以前に、ああこういう人間が一年近くも日本の政治システムの中で最高責任者として国の運営をしていたことに戦慄すら覚えますね。一番みっともないのが、「県外」という自分の意思が実現されなかったのは、最側近である官房長官や最大の当事者である防衛大臣の協力が得られなかったことと言っていること。どこの世界に、「担当の重役や取締役が強力してくれなかったから、仕事が出来なかった」と泣き言を言う社長に同調する会社があるものか。それは、結果として部下やその下の組織を使いこなせなかった自分の責任であるし、そう言う組織(=システム)を構築した自分の責任であるはず。と言うか、結局最後には「重要性を改めて認識し」と県外移設を自分から諦めたわけだから、その責任はどうするのだろうか。

立場の高低や責任の重軽の違いはあれど、ひとたび「リーダー」というポジションで仕事をすることになった以上、そのチームで達成すべき目標に関しての最終責任者は、そのリーダーが負わなければなりません。仮に何かトラブルなり予想外の状況になり、それが自分達の中に原因があったとしても、あるいはお客様にあったとしても、できうる限りの努力をして解決するか、解決出来ないのならばより望ましい結論(最小被害)を導かないといけない。その為には、組織で仕事をする以上、その組織の末端まで効率的に機能するように配置なり権限委譲なりをするのがリーダーの仕事なわけです。ただ、5人とか10人程度の組織ならまだしも、何百人、何千人という組織になれば、トップのリーダーが全てを管理して運用することは不可能なわけで、当然のことながら目的や規模に応じてグループを作り、サブリーダーを設定し、効率よく全体を運用する事が、リーダーとしての勤めになります。で、この人は、恥ずかしげも無く、そのサブリーダーに裏切られた、自分が信用されていなかったと、自らの無能振りを言っちゃうわけで、そういうところが恥ずかしいところですよね。実際のところそれが事実であったとしても、そこは「自分の力が不足して」とか言うのが、リーダー経験者としての引き際のマナーとでも言うべきものじゃ無いだろうか。

仮にリーダーとして仕事をして失敗してしまったとしても、ではその失敗の理由は何だったのか、どうしたら回避出来たのか、あるいは今であればもっと別の良い方法が見つかるのか、という、次に繋がる話をするのならば、それは意味があるし大切なことだと思うんです。この人が沖縄で話をしたように、外務省の抵抗が有り、防衛省の抵抗があったことが「県外」を実現できなかった理由ならば、じゃぁどうしたらよかったのか、どうすれば良いのかと言う話が見えてきません。「国内に40カ所の候補地があったが握りつぶされた」、とか、「高速輸送船を利用したアイデアがあったが」とか、記事には書かれているけれど、本当に自分がそれを正しいと思うのであれば、自分だけでもやり方は色々あったはず。例えば、小泉元首相の時には、郵政民営化ということで党内の反対もあったけれど解散総選挙という「博打」を打って結果を得たように、本当に必要ならば幾らでも方法はあったはず。と言うか、民主党がその時の選挙で勝利した理由の一つに、まさに「県外移設」が公約(マニフェストか)としてあったわけだから、それに反対する身内は間違っているんじゃ無いの? それに対応出来なかったと言う事は、ただただ目標設定が間違っていたか、自分が無能だったか、あるいは両方だったかという事でしか無いでしょう。

「リーダー」という役割を担った以上は、その難易によらずに、人間誰しも結果を残して成功したいと思うのは当然のこと。しかし、100%自分だけで完結出来るならばまだしも、多くの場合には周りに不確定要素は幾らでも生まれてくるし、問題解決がリーダーの仕事ではあるものの全ての問題が解決出来る訳でも無い。最終的に結果は出したとしても、不満な点も多々残るだろうし、何らかの結果がそれでも達成出来れば良い方で失敗する場合だって多々あります。それが「成功」と周りから評価されようが、「失敗」と評価されようが、その時にリーダーとして取るべき態度は、自分が進めてきた行程を反芻し、結果について評価をし、それらの事柄を次のリーダーにバトンタッチする、あるいは自分の次のステップのために咀嚼する事のはず。その為には、少なくない時間が必要だと思うんですよね。だから、リーダーとしての役割を追えた人が、直ぐに何らかの理由で表に登場している様子を見ると、例えその人がどんなに世間から評価されている人であっても、個人的には信用できないなと感じてしまうわけです。結果なり行程を評価するのは周りの人で有り、自分が自画自賛にしても後悔するにしても、大っぴらにするもんじゃない。この人は先日無くなった母親から政治家に向いていないと言われて引退を決意したと自ら言っているのに、まだそう言う世界に未練があるところが見苦しいですよね。

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