2012年12月27日

科学の過信

昨日の夕方の某ニュース番組で、よく見るコメンテーターが変な怒り方をしていました。東通原発の活断層調査で、調査委員会が活断層と断定していたのに、東北電力側はそうでは無いという反論をした事を取り上げて、「科学なら誰が考えても答えは一つしか決まらないのに、なんで電力会社の回答はいつも問題無いなのか」みたいな事を言っていたんですね。活断層かどうか、と言う結論は、私は知識が無いからここでは触れないけれど、でも「科学は答えは一つ」という言い方にはちょっと疑問です。

そりゃぁ、今の科学技術では、普遍的な物も多くあるけれど、でも必ずしも確定出来ない科学も沢山あります。特に自然現象が関わるような事は、ある程度推定出来るものから全く「予測」でしか無いものまでいろいろ。地震の予知もそうだし(最近では、予知できないと専門家がさじを投げてましたからね)、天気予報だってそう。今回の活断層判定にしても、地震予知や天気予報に近いものがあると思うので、意見の相違はあっても良いと思うんで代ね。

一つ不思議なのは、これまで原発の立地調査なんて、年単位の期間をかけてやっていたと思うんですが、今の活断層調査って数日どころか数時間程度のボーリングで結論を出しているように見えること。内容が内容だけに、慎重な結論に傾くバイアスが掛かるのは仕方ないと思うけれど、もっと慎重で丁寧な調査は必要無いんだろうか。

物理法則のように、その現象を表現するモデルや方程式が定義されれば、後はパラメーターを設定すれば得られる答えは一つなのは確か。でも、モデルケースが想定できない物理現象も多々あるわけで、そう言う場合にはいろいろな可能性を当てはめて推定していくしかありません。今回の場合だって、仮にそれが活断層であっても、じゃぁいつそれがいつ破壊されるなんて言うのは、また別の議論のはず。仮に10年後に破壊されるなら今すぐに対応が必要だけど、それが1000年とか1万年なんて言うことであれば、また別の議論が必要ですよね。

「羮に懲りて膾を吹く」という諺があるけれど、重要な事は次に羹を食べるときに、どうするかと考えることのはず。そこから、新しい技術も生まれるだろうし、ビジネスだって生まれるだろうし、一番重要なことは自分の経験値として蓄積されること。そう言う視点で、もう少し丁寧に調査を実行したり判断して欲しいなと思いますね。

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