2012年10月16日

うそすぎ

この記事を読んで、ある諺を思い出しました。「蛙の面に水」(表現を一部俗称から変更-笑)。仮にも"元"ジャーナリストならば、過去の自分の記事・発言に間違いがあれば、潔くペンを置くべきでは。あるいは、それを補って余りある活動をして認められるべきだと思うのに、「一括修正」ってExcelやWordで一括変換しているわけじゃあるまいし。

結局、メディアしか存在しなかった時代なら「嘘も真実」として残っていくんだろうけど、今のようにメディア発の情報以外にも様々な経路から情報が発信・蓄積され、さらにはこれまでなら人の目に触れることは無かった(メディアに隠されていた)、情報の大元・ソースすらネットに登場するようになると、メディアで適用されていたフィルターやバイアスに対しての不満がどんどん生まれるでしょうね。

個人的には、メディアの仕事として、そういう制限なり味付けをするのは「有り」だと思っています。それぞれの帰社やメディアでの方針と言うものもあるだろうし、その人の考えもあるだろうし、そう言うものも含めて読者に分かりやすく事実を報じるのが「メディア」であったはず。それが、だんだんと自分の意見を押しつけるようになってきて、そのために真実からかなり乖離した話すらも「事実」として抗弁するようになってきたわけですが、丁度並行してネットが発達してきて、どんどん個人レベルでの情報発信が出来るようになり、さらにはメディアとは異なる「情報インフラ」とも言うべき、プラットフォームも登場して、読者が複数の情報に接することが普通になったときに、これまでは比較のお手本であった既存メデイアが、比較対照される側になり、それにより見えなかったことが見えるようになったのが現在。それぞれ、個人レベルでは好みもあるだろうけれど、唯一置かしてはならないのが「事実を歪曲しない」こと。それをやっちゃった一人が、この人ですよね。

既存メディアから脱するという当初の意気込みは良かったけれど、個人的に凄く不信感を抱いていたのは、文章はそれなりに読ませる内容が当初は多かったのに、当時レギュラー出演していた登録番組ではほとんど意味のある発言が聞けなかったこと。その人の精確やスキルの違いもあるかもしれないけれど、単なる有名ジャーナリストというお飾りで出演していただけで、かつ時々する発言の的外れ具合に、「をぃをぃ大丈夫か」と感じたことも多々。結局、その後だんだんと化けの皮が剥がれてきたわけで、一番拙かったのは自分の失敗なり虚報なりを正当化するために、その上からさらに嘘を積み重ねていったこと。で、最後にはバックレルだけという、何ともみっともないことを繰り返すようになったわけで、そのあげくにこの「一括訂正」という行為ですからね。もし、仮に今でもジャーナリストという肩書きを言うのであれば、万死に値する行為だと思うのだけれど、それも馬耳東風なんだろうね、こういう人には。

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