2012年5月11日

データと情報

PCWatch、山田祥平氏のコラムから、「ファイル」の存在意義について。自分がパソコン(当時はワンボードマイコン」をいじり始めた頃は、まだ「ファイル」は存在してませんでしたねぇ。4KBとか8KBのメモリー空間に、データを打ち込んで先頭を指定することで、「ここからがデータエリア」みたいな使い方で、読み書きをしていたもの。外部記憶装置としては、最初の頃は紙テープとかOCRカードだったし。カセットテープにデータを入れる頃になって、「ファイル」という概念が出てきたのかな。当時はまた"FAT"(File Allocation Table)なんていう物も無かったので、確かテープ送りのコマンドとかあったり、「先頭部分をxx個スキップしたら読み込む」とか、チューリングマシンみたいな使い方をしていた記憶が...

記事の中でも、PCの時代は「ファイル」というデータの塊をハンドリングすることが「パソコンの利用方法」だったのが、今はデータフォーマットがどうなのかよりは、「何が書かれているか」が重要。つまり、そのファイルという単位のデータではなく、その中に書かれているあるいはそこから入手出来る「情報」に大きく軸足が移ってきているわけですよね。

実際、今のインターネットのサイトを見てみれば、昔のようにHTMLで内容を記述して、CSS等で体裁を整えるなんていう方法は今ではマイナーなわけで、それこそオンザフライで記事(=情報)をアップしていくと、後はそれをどの様に表示するかは、アクセスしてきたユーザーの環境や方法によって変化するわけです。これで困るのは、書き込んだのは良いけれど、昔のようにHTMLファイルが手元に残るわけでは無いので、バックアップが作れないんですよね。勿論、例えばBlog何かの記事でも、その気になればSQLのデータをバックアップして、データとして保存することは可能だけれど、実崔に表示された「情報」は復元することは難しくなります。

一方で、ファイル(=データ)の場合、その複製(コピー)は幾らでも作る事は出来るけれど、内容に変更を加えた場合(削除でも追記でも)、そのファイルは元のファイルとは違う物変わります。でも、情報の場合、多くの場合はその情報の信頼度あるいは正確さという属性が補強されるわけで、情報自体が新しい別の物に変わるわけではありません。勿論、「この情報は間違っていました」なんていう属性が追加されれば、それまでとは別の情報に変わる場合もあるけれど、多くの場合一つの情報に対して、こういう部分が正しい、個々は間違っているという属性が追加されていくことで、その情報としてのディテールが確立されていくという部分が、これまでの「ファイル」の概念とは大きく違うところでしょう。

OSの変更ですぐに大きく何かが変わるとは思わないけれど、今のスマホとかタブレットとか、あるいはクラウドという環境がコンピューティングのスタイルを変えていく気がします。人間自身が周りの環境に合わせて進化してきたように、周りの環境、あるいはライフスタイルの変化が、情報交換のやり方を変えていく一番の原動力なんでしょうね。その一つしては、昔はデータは個人が管理する物であったけれど、今ではFacebookのような形で、情報共有しておくことで事前に共通認識のバイアスをかけておくことで、コミュニケーションのコストや負荷が最初から軽減されていくことで、どんどん密な情報交換が可能になったり、とか。SFチックではあるけれど。

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