2012年2月3日

独り占めのOS

金曜日お馴染み、PCWatch、山田祥平氏のコラムから、今週は「PCの独り占め」の話。ふと思ったんですが、現時点でパソコン(PC)以外で、「独り占め」している物って、何があるんでしょうね。まずは携帯電話、WalkmanやiPod等の音楽プレーヤー、ゲーム機はどうかな? ちょっと微妙? 洋服は親子、兄弟で共有することはあるけれど、下着なんかはあまりないかも。靴も、それに近いですよね。でも、ネクタイとか帽子、あるいはジャケットなんかは親子・兄弟で共有可能かも。

車は、半々くらいでしょうか。テレビは、だんだん独り占め時代になりつつあると思うけれど、ラジオとかは独り占めといっていいかも(でも、その数量は少ないけれど)。ビデオテープ、DVD/BDなんかは独り占めなんだろうけど、視聴するときには共同の場所(=Living)だから、独り占めというのはちょっと微妙。

それらのものでも、一人住まいしている人から見れば、すべて独り占め。当たり前ですけどね。そういう一人暮らしの男女が、例えば結婚とか同棲をして共同生活を始めた場合、それまでの「独り占め」していたものを共有することになるだろうか。物理的に制約から、大型テレビとか冷蔵庫等は一つにするかもしれない。でも、結構多くの部分は二人で住み始めても独り占めのままで、逆に住み始めてから購入する物が「共同使用」になるんじゃないだろうか。

結局は、物の種類や内容にもよるけれど、その時の環境が作用する事が大きいと思うんですよね。つまり、コラムの最後に山田氏が言っているように、今のWindows環境が変わらないと変わらないし替わらない。でも、それを無理に一二の三でがらっと変えることには、ユーザー側が戸惑うだけで支持されないでしょうね。必要なことは、あくまで選択肢を提示することで、強制することではないから。

高校生の頃からパソコン(当時は「マイコン」だったけど)に接して、黎明期から今でも関わっている人間の一人として思うのは、マイコンにしてもパソコンにしても、当時も今もそれはホストコンピュータ(メインフレーム)の分身、一部を個々人が占有して使える物であり、それがやっと最近になって個人がそれらのコンピューティングリソースを占有できる時代になってきたということ。 それは、それまでは向こうにあるコンピュータにこちらが近づく物だったのが、今は自分の体の一部として使用目的が変化しつつあるということ。だから、パソコンにしてもPC(Personal Computer/Computing)にしても、その名称から想像されるものとは本当は違う物が今は要求されているように感じるんですよね。

その一つの例として個人的に感じるのは、SNS等での関係構築が、それまでのFace-to-Faceでの関係構築に替わりつつあるのに、今のパソコンは決してそれに適しているとは言えないこと。元々はData Processing用に開発されたコンピューターが、その後Information Processing用に変化し、それがさらに今自分のThinking Processing用のツールになりつつあると感じます。コラムの中で山田氏は、Microsoftはもっと持ち出す気持ちになるOSを作るべきと書かれていますが、その意味の一つはもっと軽量で軽快なOSにするべきと言うこと。もう一つ個人的に感じるのは、OSをベースにした環境が、もっとカスタマイズ可能で、かつ継承可能な物になって欲しいこと。例えばWindowsXPからWindows7に移行したときも、それまでの設定やデザインは一からやらなきゃいけない。上書きインストールをすれば、以前の設定などを引き継いでくれるかもしれないけれど、それが新しい環境で最適化されているものかどうか分からないし、大体32bitから64bitでは、それすらも出来ない。別の言い方をすると、OS自身も新しいバージョンが出て「変わる」のは良いとしても、ちゃんと以前の「知識・経験・積み重ね」を継承して成長するような構造を、そろそろ考えて欲しいですよね。そう言う意味では、「OS」という考え方・構造自体が、もう古い考えのように思います。

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