2012年1月26日

反原発と脱原発と超原発

大前研一氏のこのコラムや田原総一朗氏のこのコラムなど、やっと単純に原発を無くせと言うだけでは何も解決しないという意見が出てくるようになりましたね。確かに、震災による福島原発の事故の影響は大きく、何とか小康状態を維持しているものの、これから30年40年かかると言われる廃炉作業はまだどうなるか先は見えないし、回りに与えた環境被害の対策も大変な作業です。でも、一方で1億3000万人もの人が、日々の生活を安全に快適に送るためにはエネルギーが必要なわけで、その為には国内発電量の30%を占める原子力発電をいきなり止めることは出来ないのも事実。今は、使用停止した古い火力発電所を再稼働したり、いろいろな独立系発電施設から電力をかき集めて何とか賄っているけれど、それってもしどこかで発電設備が故障したり、何かトラブルがあれば一気にバランスが崩れてしまう危うい状態なわけで、それがこの先何年も継続できるとはとても思えません。

個人的に反原発・脱原発と言っている人達にどうしても不信感しか感じられないのは、彼らは止めろとは声高に言っても、その代替案については何も持っていないから。自然エネルギーにしても、再生可能エネルギーでも良いけれど、その中でどれだけ直ぐに原発と交代して使えるものがあるのか分かっているのだろうか。

原発の稼働率低下を補完するために、火力発電所の稼働率を上げているため燃料代が上がるため、その分の電気使用量をあげる話が出ています。それに対して、昔の「ガソリン値下げ隊」が今度は「電気料金値下げ隊」になって値上げを阻止するとかお目出度い事を言っているらしいけれど、じゃぁ太陽光発電の買い取り料金を今の電気代に添加するのは良いことなのだろうか。確かに、値上げで喜ぶことは無いけれど、発電システムの変更で燃料代がアップします、自然エネルギー普及のために補助金分を添加しますとちゃんと言って値上げするのが、脱原発の世界ですよね。本当に、原発の危険をリスクとして考えて、代替エネルギーに移行するのであれば、その移行する内容・システムまでちゃんと考えた上で、今の原発中心の発電システムを超える「超原発」とでも言うような意見を出してもらわないと、結局は反原発・脱原発と言うストレス発散、自慰行為に自己満足しているだけ。あるいは、今旬のそれらの話題に隠れて別の意図を滑り込ませようとしているようにも勘ぐってしまいます。

北海道や東北の人が豪雪に困るからと言って「反豪雪・脱豪雪」と言っても何も解決しないように、誰もトラブルやリスクを望まないのは確かだけれど、それらを魔法の杖を使って一瞬で解決できないのも現実。それらのプラスとマイナスを冷静に判断して、その中で最良の方法を探しつつよりプラスの多い方向に進むのが、人間じゃないだろうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿