2012年1月19日

脱電子メールの四年間

タイトルに惹かれて記事を読んでみたけれど、正直「なあーんだ」という程度の内容でがっかり。記事を読む限りでは、このルイス・スアレズ氏の仕事は一種のカスタマーサポートで問合せに対して対応する内容のようなんですよね。だから、そういうQ&AをメールのようなP2Pで対応すると、どうしても重複した内容が何度も発生したり、新しい問合せの度に1から説明しないといけない。そういう「共通の情報を公開することで共有して、繰り返すことの無駄を省く」のは、昔からやられていることで、そういう方法が有効な場合も多くあるのは事実。ただ、そうやって公開可能な内容なら良いけれど、仕事の都合上どうしても機密事項や守秘義務のようなも事も発生するわけで、それはどうしているんだろうか。

例えば、社外のお客様に対応するような仕事をしていると、基本的にそのお客様名が特定できるような書き込みは出来ないはず。情報共有する場合には、だからお客様名を匿名にしたり適当な仮名に変更したりするわけですが、そうすることで本当に必要な人に正確に情報伝播できない場合も考えられます。

ちょっとよく分からないのが記事の後半でFacebookの中の人が、"CC"の意味が既に使われなくなっているようなカーボンコピーの意味だからメールは遅いし時代遅れ、と書かれていること。Facebookで言えば、友達の設定レベルや公開レベルを分けるようなことだと思うけれど、個別にメール毎にCCを設定出来る方が、一律に設定して出来ないFacebookよりは効率的だと思うんですけどね。

現実の世の中に当てはめてみると、電子メールは「電話・通話」であり、SNSは「放送・メディア」なんですよね。それぞれ一長一短あるけれど、ユーザーが自分のニーズを考えて使い分けているいる。それと同じで、確かに歴史的には電子メールは「古いツール」で、SNSは「新しいツール」ですけど、インターネットという共通のプラットフォーム上にデータを流すという部分に違いはなく、かなり乱暴な言い方かもしれないけれど、結局Input/OutputのI/Fが違うだけ。そういう違いを理解して賢く利用することが一番重要であって、どっちがよい・悪いという話ではないはずですよね。

ところで、この記事のタイトル「脱電子メールの4年間: IBM社員のワークスタイル」の「脱電子メール」という部分が刺激的に感じるんですが、じゃぁ原文はどうなっているんだと英語のサイトを開いてみたら、"IBM Gives Birth to Amazing E-mail-less Man"。最近の「脱原発」もそうですけど、日本語の「脱」というと100%無くすみたいな印象を受けるんですが、英語だと「脱電子メール依存」とちょっとニュアンスは違う感じがするんですけどね。世の中の仕組みや動きが多用になれば、それに応じてふさわしい手段・手法が生まれてくるのは自然な話。結局は、自分のスタイルに合わせてベターなものを選ぶ・作る・利用すると言うことが一番大切ですよね。

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