2011年12月22日

Winny裁判

P2Pファイル交換ソフト「Winny」が、著作権法違反幇助の罪になるのか争われていた裁判で、最高裁は上告を棄却して無罪が確定。多少はソフト開発に関わる一人として、自由な発想での新しい技術・ソフト開発の自由は欲しいと思うものの、その内容によっては制限なり制約、あるいは社会的義務のようなものも生まれるだろうという気持ちあり、この「無罪」という判決には、そのままでは納得できない部分も感じます。

今では、様々なファイル共有やデータ交換のソフト・環境が揃っているので、こういうWinnyのようなP2Pソフトが必要かと言われると疑問だけれど、10年くらい前に初めて登場した時には、大規模なクラウド環境も要らず、またパフォーマンス的にもP2Pでそれなりに良好だったので、その当時では「求められていたソフト」であったのも事実。ただし、利便性というものはそのまま悪用する事も簡単にできるわけで、その点当時のネットワーク環境を考えてみても少し思慮が足りなかった気はします。

ただ、開発者の金子氏を弁護するつもりはないけれど、開発者というものは往往にして視野の範囲がそれ程広いわけではないので、どうしても自分のアイデアの周りの有る範囲のことしか考えない・考えられないもの。勿論、その範囲を少し広げてみれば色々危険なことや危ないことも分かるんだけど、どうしても自分がその時に認識出来る範囲は限定されていて、結構狭い気がしています。だから、一度開発が完了して完成品を見てみると、今度はそこからの範囲が広がるので、これまで見逃していた問題とか課題が、今度は自分の頭の中に入ってきて、だからそこから改良・修正と言う作業が始まり、それが何度も繰り返されることで完成度が高まっていくわけです。問題なのは、その改良・修正が終わらないうちに、その問題点が発覚したり何かトラブルがそこから出てしまうこと。開発者にとっては、意図的にそういう状態にしたわけではなくても、それは開発者の責任になってしまうわけです。

勿論、最初から視野の広い人はいるし、慎重な性格ならば十分にテストケースを流して確認するだろうけれど、それでも限界はあるし100%問題解決出来るわけではないのも事実。結局は、開発者とは異なる視点・異なる考えを持つ人が、どう言う部分を自分の「利益」と感じて活用するかで、明暗が生まれてしまうんですよね。自分がプログラミングの真似事をしていた時代は、DOSの頃なので、何か問題が出ても自分のPC上で済む話でした。初めてフリーウェアを登録した時は、自分以外の人にも影響すると言うことで、かなりドキドキしたものだけれど、それでも当時はそれなりのスキルのある人がパソコンを使う時代だったから、まだ大らかだったし安心も出来る時代でした。それがネットワーク接続が常識の世界になり、ソフト開発にしても簡単に高機能なものが作れるようになり、さらにユーザーレベルもどんどん一般的なレベルに下がり、以前のような「善意の人柱」みたいなことを期待できる時代ではなくなりました。開発にしても、そういうことをもっと肝に銘じて作業しないと行けない時代だと思います。

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