2011年7月13日

器量と気立て

デザイン」と一言で言っても、大きく二つの意味があると思うんですよね。一つは、形状や塗装等の「見た目」であり、もう一つはその機能を使用する時の「使い勝手」。どちらだけが良くても悪くても困るし、そのバランスが凄く大事。人間で言ってみれば、「器量」と「気立て」だろうか。記事の中で取り上げられている、韓国勢に関しては、私は見た目の向上は凄いけれど、使い勝手に関してはそれ程ではないと思っています。対する日本は、余りに機能を詰め込みすぎて、その使い勝手に関してもちょっと怪しいのが問題だけれど。

例えばよく例に挙げられる「携帯」。私なんか思うのは、使わない機能は表面上のI/Fから隠して見えなくするようなデザインが欲しいと以前から思っています。例えば10個のメニューがあるとして、その中でいつも使うのが3つしか無いのに、その3つのメニューを遷移する時に残りの7つのメニューを通過しないといけないとしたら、これはストレス以外の何者でもない。そりゃぁ私もエンジニアの端くれなんで、折角苦労して入れ込んだ機能は使って欲しいし、使えば便利な機能なので気に入ってくれるだろうという気持ちも分かります。でも、ユーザー側の気持ちになれば、使いもしない物が画面の半分を占めていたり、余計なメニューのためにボタンを何度も押さないといけないのは迷惑。本当に必要になれば、結構ユーザーは自分で調べて使い方を発見もするし。自分にとっては、Bluetoothとかがそうでした。逆に、目玉機能であっても飽きてしまうこともあるわけで、自分にとってはワンセグがまさにそれだったけれど、先日の震災の時には情報収集機能として久しぶりに活躍しました。毎日使うであろう、通話とか電子マネー等とは別に、時々使う、たまに使う、殆ど使わない、全く使わない、みたいなレベル分けで、メニュー構成をレイヤー化出来たりするだけでも使い勝手が便利になりそう。

器量に関して言うと、これってブランド物なんかがそうですよね。何十万、何百万もする時計なんかでも、個人的には「ごちゃごちゃしているな」と思うものが結構一般的には人気だったりするし。全体の形状としては好きなんだけど、"LV"のモノグラムが全面に印刷された時点でもうダメとか、外側は格好いいんだけど、裏地の格子模様がうざったいコートとか(笑)、結構好き好きが生まれるので難しいところでもあります。結局、多くの人に好んで貰おうと思うと、好き嫌いが生まれそうな尖った部分をある程度押さえた、シンプルなデザインに収斂してくると思うんですよね。その代表例が、iPodでありiPadでありiPhoneだったりするわけで。

PCの世界で「タッチパネル」というデバイスが1つのエポックメイキングな物になるんじゃないかと思うんですが、その理由の1つが「物理的ボタンやI/Fからユーザーを解放した」事。「ボタン」では無いけれど、キーボードも無いPC(情報デバイス)も登場しているわけですからね。必要に応じて必要なI/Fを提供出来る。別の言い方をすれば、沢山のI/Fがあるけれど必要になるまでは隠している。「デザイン」と聞くと、どうしても「見せる物」という発想がまず浮かんできてしまうけれど、これからは「隠す」「見せない」「固定していない」みたいな発想がどんどん生まれてくるかも。で、ちょっと我田引水っぽい結論ですが、そういう発想というのは実は日本人が得意というか、日本の文化がそれに近い発想だと思うんですよね。例えば「屏風」なんて、隠したり少し見せたり、あるいは間仕切りを自由に設定したりという、まさに「デザインの肝」。記事の中には、淡い期待も込めて日本のデザイン発展を期待するメッセージが最後に書かれているけれど、世界のニーズをくみ取ると同時に、日本人の感性というか原点再発見みたいな事をすることで、世界に通用する次の「日本的デザイン」が生まれてくるように感じます。

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