2011年6月24日

燃え尽きたい症候群

すったもんだして結局「70日」という妥協を引き出した菅首相、昨日の訪問先沖縄では「私がやらなければならないことは、(東日本大震災の)復旧・復興と原発事故の収束だ。それに向け全力を挙げ、燃え尽きる覚悟で取り組んでいきたい」と言ったそうですけど、これって何だかなぁ...

スポーツ選手とか芸術家が、自己の限界を目指して全勢力を投入し、その結果肉体的・精神的に「燃え尽きる」のはあると思います。でも、目標達成と共に継続性も考えないといけないリーダーが燃え尽きてしまったら、どうするんだろう。目標達成よりも、そこに至る手段が目標になってしまって、本人だけが満足する無意味な結果になりそう。それともスポーツ選手のように「私はまだまだ燃え尽きていない。だから現役続行します」なんていうことを言うつもりだろうか。

同じように胡散臭いのが「再生可能エネルギー特措法」。今回の原発事故の有無にかかわらず、有限のエネルギーである石油とか天然ガスとかあるいは原子力燃料のウランとかプルトニウムの比率を下げる、可能なら脱却して、事実上無限のエネルギー源である風力、水力、太陽光、地熱等のシフトすることは必要だと思います。ただ、この特措法では、とにかく再生可能エネルギーにシフトするために、今コスト的に不利なそれらの発電に関して「補助」を出すという話ですよね。別の言い方をすれば、新しい「補助金ビジネス」を始めようとしているわけで、結局それって天下りと一緒で新しい利権を作るだけなんじゃないのか? 特に今のように地域独占で電力会社が発電・送電両方に責任があれば、今でも行っている個人宅や自家発電設備からの売電の延長で可能だけど、将来発送電分離された場合、発電会社はより低コストの発電方法にシフトするだろうから、高コストの発電方法は淘汰されるはず。そこに補助金をつぎ込むことになると、それって発送電分離の趣旨に反するわけですし。

先日開催された、この再生可能エネルギーを進めるグループの会合でしたっけ、菅首相が参加して「私を首にしたければ、この法案を通せ」と妙にハイテンションで気勢を上げている様子が何度も放送されたけれど、あれって完全に手段が目的化している状態ですよね。しかも、その場にはあの孫社長もいて、同じようなハイテンションで持ち上げていたけれど、何か新興宗教の儀式、あるいは霊感商法の商品売り場を見ているような、引くような場面でしたね。リーダーにとって「燃え尽き症候群」というのは、個人的には受け入れられないけれど、それでも目標を達成して燃え尽きてくれるならまだましです。でも、今の様子を見ていると、美しく燃え尽き(でも、自己満足?)散りたいという「燃え尽きたい症候群」でしかないように感じるのが、今の日本の不幸だろうなぁ。

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