2017年3月23日

擬似的高次脳機能障害

石原元都知事の百条委員会で、最初に脳梗塞の後遺症で平仮名すら読めなくなった、と言うような説明から入り、それが「それで証言が出来るの」「なんで執筆できるの」という疑問が一気にTLに広がりました。その後、脳梗塞などの後遺症として、脳機能の一部が使用出来なくなる、不自由になる「高次脳機能障害」という言葉がTLに流れだして、例えばひらがなすら書くことは出来ないが、別の方法であるワープロなどなら文書作成は可能な状態も普通に存在するということらしい。実は私も最初に「平仮名すら忘れた」とご本人が言われたとき「えっ?」と思ったんですが、その後調べてみたらこう言う症状が普通に発生して居ることを知って、なるほどと納得した次第。まぁ、中には直後に延髄反射して「おかしいだろうと」と書き込んだ某元知事なんかもいて、即炎上しているけれど。

これら一連の記事とか情報を見て感じたのは、そう言う後遺症が無い人であっても、現代生活においては擬似的高次脳機能障害みたいな状態になっているだろうという事。例えば、今の時代は手書きで文字を書くことがガクッと減ってしまったから、スマホとかパソコンで文章作成することは普通に出来ても、いざ文字を加工とすると文字を忘れてしまう。手元にスマホがあれば、其処で表示して書き写すこと出来るだろうけど、昔のように習った文字を書くことすら難しくなってきています。あるいは高次脳機能障害の症状として、怒りっぽくなったり幼稚な言動を取ることがあるそうですが、それってtwitterとかネットでのやり取りを見ていると日常茶飯事的に生まれてくるもの。同じネットでのコミュニケーションであっても、BBSしかなかった昔は、それでもそれなりにスキルがある人だけがアクセス出来た時代だから、厳しい言葉が飛び交っても、其処は第三者が見ていても理解して判断出来る内容が多かったように思います。今のように、いきなり罵詈雑言が飛び交うなんて言う事は先ず無かった。あと記憶力低下にしても、スマホでスケジュール管理したりメモしたり、写真撮影したりすることで、それまでなら記憶していたことを全て二次記憶装置にスワップアップしてしまい、本来の記憶力は低下している気がします。

デジタルデバイスやネットワークの発達で、それまでは自分で覚えたり自分で読み書きして身につけていたことを、どんどん色々なことを肩代わりしてくれるようになってきました。その為に、それまでは使用していたそれらの機能を司る脳が使用されないことで退化する機能低下していることは確実なわけで、それって自ら高次脳機能障害の状態を作り出しているとも言えるのでは。勿論それによって恩恵を受けることもあるけれど、トレードオフで自ら持っているものを使用しなくなっていく、使用出来なくなっていくのは、別に加齢だとか脳梗塞などのトラブルの後遺症だけでは無いと思う。別にデジタル製品だけでは無くて、それ以外のことであっても何か道具や仕組みが発見されて便利になるという事は、その分野で飛躍的に色々な物が拡大する一方で、それによって不要になる物利用しなくなるものも生まれているわけで、その部分はどんどん失われていくことも事実。その失われた物が完全に無くなってしまえばそれは障碍では無くなるけれど、一部に残っている間は「障碍」にも見えるわけで、平仮名だって将来的に誰も使わなくなれば、それが欠けないことは障碍では無くなるでしょう。

一般的に言われている「高次脳機能障害」は、交通事故とか脳梗塞などの突発的なトラブル等の後遺症で発症したものを言うのだと思いますが、実は我々の生活でもどんどん便利にでしたるかされてネットワーク化されている今の時代の生活を満喫していることも、同じような「機能障害」を生み出している化もしれないことを理解するべきですよね。石原氏個人の症状に関してやいのやいの言うことは論外だと思うけれど、実はそうやって感情的にTLに書き込むことが実はその人自身が擬似的高次脳機能障害の症状なのかもしれないという事を認識しないといけないというのが、偶然だろうけど皮肉な事だなぁと思わず感心してしまいます。スポーツだったかビジネスだったかの格言で「絶好調の時にこそ一度立ち止まって振り替える」みたいな話が有ったように記憶していますが、便利な時田かこそ一度振り返って考えてみる、みたいなことを習慣づけないと今の時代は知らないうちに便利さの沼にはまって出られなくなってしまうかも。

0 件のコメント:

コメントを投稿