2017年1月14日

希釈化される慰安婦像

何があろうとも増え続けていく韓国(内外)の「慰安婦像」。記事にも書かれているように、存命の慰安婦の数よりも増えてしまって、多分それ以降もさらに増え続けていくんでしょうね。日本人的感覚で言えば、どんどん増えていったらオリジナリティが希釈されてしまい、意味というか有難味というかその尊厳性まで薄れていくと思うのだけれど、彼らにしてみれば「数こそ力」という事なんだろうか。

戦争中だから、いろいろと不幸なことが多かったとは思うけれど、今のこう言う動きを見ていると完全に「慰安婦ビジネス」になっているとしか思えない。銅像を建てても、そこで行われることは単なる示威行為だけで、本当に「慰安婦」の人の事を思っているのか毎回疑問しか浮かばない。日本でも、こう言う動きに賛同する、社民党とか共産党とかあるけれど、それならそれで、何で彼らは当時同時にいただろう「日本人慰安婦」に対しての行動を起こさないのだろうか。仮に、日本人に対して十分な施しが行われていて文句が無いなら、それを指摘して韓国やその他の「慰安婦」に対しての援助を要求レスれば良いと思うのに、そんなことは絶対に言わないんですよね。だって、そんなことは無かったから。

仏心を出してしまった日本側にも拙かったところもあると思うけれど、引き際というか分岐点を見誤った韓国側は、この後もひたすら要求し続けるしか無い。日本としては、「日韓合意」を縦に相手の責任を言えば良いだけで、仮に次の大統領が破棄するようならば、以後の全ての条約・協定・会談を拒否すれば良いと思いますね。だって、信用できない存在になるわけだから。

問題なのは、日本国内で相手の利益誘導をしている団体や組織なわけで、彼らの動機は何だろうか。単純に慰安婦が可哀想という動機だけで動いているとは思えない。かといって、北朝鮮の陰謀論まで話が進むほどの確証も無いし。大体、ついにというかとうとうというか、民団までも韓国国内の動きに対して批判を表明するようになったわけで、その危機感をでも韓国内では理解されないんだろうなぁ。まぁ、色々影響はあるだろうけど、今回の事を切っ掛けにして、困った隣人は無視するという当たり前の行為が日本全体に認知されたら、それはそれで良かったと言えるかもしれない。その為に慰安婦像が増えていくのであれば、それはそれで良いことかもしれない。まぁ、うざったいことはうざったいけれど。

0 件のコメント:

コメントを投稿