2014年8月6日

取消はしても謝罪はしない朝日新聞

昨日突然朝日新聞紙面/デジタル版に掲載された「慰安婦問題を考える」と題された特集記事。紙面では、一面に大きく記事が印刷されているのに、デジタル面ではまるで隠れるように小さくエントリーがトップページに記載されているだけ。それでも、これまでの批判に対して何か反論なり謝罪なりするのかと思いきや、全くそうでは無くて単に言い訳をして幕引きしようと思わせるような記事の数々。

大体、特集の見出しが間違っていますよね。

「慰安婦問題の本質 直視を」
って、本質を誤報でねじ曲げてきた張本人が何を言うのだろうか。
「慰安婦報道の誤報 謝罪を」
じゃないの。

で、特集の内容を見ていくと、相も変わらず「強制連行」の定義を弄んだかと思えば、朝日新聞報道の根拠となっていた「吉田氏証言」については、これを間違いと認めて記事の取り消しはする、と書くものの、メディアとして謝罪の一言は無し。いゃ、これが数日前とか数ヶ月前の話で、その後真実が判明して取り消すというなら分かるけれど、もう20年以上前からの話で、吉田証言の根拠の無さは既に何年も前から指摘されてきたこと。今回何か新しい証拠なり出てきたわけでも無いのに、何年も否定していたことを180度翻して取り消すならば、当然「伝えること」が仕事のメディアとして一言読者に謝罪すべきでは。何年か名前にあった食品偽装問題みたいなもので、偽装が発覚してから「提供したものは間違っていたので取り消して代金を戻します」とだけ言ったら、周りは納得するだろうか。まずは「偽装をして申し訳ございません」と頭を下げるのが、少なくとも日本人の感覚だと思うけれど。

さらに「挺身隊」と「慰安婦」の混同は、当時の研究不足からと言い訳しているけれど、「女子挺身隊」については、私が子供の頃(1960年代)から、当時は存命だった祖父母は勿論、親戚の伯父叔母等から戦争の話として何度も聞いた話。「当時慰安婦を研究する物が殆どいなかった」と言っているけれど、研究も何も、戦争体験者は多分日本人の人口の半分くらいはまだあったはずで、幾らでも聞き取り取材なり調査は出来たはず。兎に角、記事にすること前提にこじつけたとしか思えない話です。

で、メディアとして「記事を取り消す」と言っているけれど、じゃぁその記事から派生した諸々の責任はどうするのだろうか。「いゃ、記事の責任は感じるが、それ以外の責任は無い」と言うのであれば、じゃぁ「風評被害の責任を取らない」ということなんですよね。東電が福島の風評被害の責任を取らないと言ったら、どうするのだろうか。風評被害って、言ってみれば情報の歪曲伝搬なわけですが、その「情報」を生業とするメディアが自ら歪曲した情報を発信し、さらにその歪曲度が誇張されて、それが10年も20年も経過して、さらに途中からその歪曲度が指摘されてきたのに知らない顔をしてきたのに、やっと「取り消し」たと思ったらそれでお終いとは、大手メデイアとしていかがなものか。100%の間違いでは無い、真実もある、と言いたいかもしれないけれど、STAP細胞の話と同じで、一度崩された根拠を前提に構築されたものは、先ずは全否定して、もう一度スクラッチから照明しなくちゃ最初の疑念は払拭されません。朝日新聞にしても、まずは最初の報道から一度取り下げて、その上で本当に真実と思うことをもう一度再構築するのが、メディアとしての義務で有り責任で有り謝罪の態度であると思いますけどね。その上で何からの強制性を言いたいなら言えば良いし、人道的な援助を必要と思うなら主張すれば良い。でも、間違った情報から構築された自らの報道は、もう根拠にならないということを肝に命じないと。

さらに言えば、この特集記事は英語面にも掲載して、広く世界に配信する義務もあるはず。海外のメディアやグループが主張する根拠の一つを取り消すわけですからね。ベネッセの個人情報流出の責任問題と同じで、自ら流した情報に関してはちゃんと責任を取って貰わないと。20年の罪の重さは、とてつもなく大きいことを自覚すべきですね。

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