2013年1月25日

無言の帰国

今朝は、アルジェリアから帰国した政府専用機の羽田での様子を放送していました。で、どの局もその様子をライブ中継してましたが、不謹慎にも笑ってしまったのが、タラップ下の送迎車を隠すようにして乗客を降ろす様子を放送しつつ、出来るだけカメラに写らないように傘等でカバーしている様子を、「生存者の方に配慮して居るのでしょうか」みたいな事を言ってるんですよね。それが分かっているなら、わざわざライブ中継なんかするなよ、と思わず突っ込んでしまった。

今回の事件に限らず、何か事件があると犯人だけで無く、被害者にも執拗な報道姿勢を見せるけれど、あれって本当に不愉快です。勿論、中にはそれが必要な場合があるかもしれない。しかし、今回の様な事件、あるいは殺人事件のような凄惨な事件・事故の場合、追求すべきはその犯人であり、被害者については本人あるいは身近な家族の心情をまずは考えるべきでは無いだろうか。事件で被害に遭い、そこに報道関係者が押しかけて、その悲惨な記憶を何度も思い起こさせたり、追求する事が、少なくとも事件直後には必要な事だろうか。

そう言う意味で、この毎日新聞の論説コラムは何だという気持ち。特に最後の部分に関しては、「実名報道」という名前の自分達の利益確保のためのこじつけにしか読めません。今回のアルジェリアでのテロ事件報道を見ていると、先ずメディアが報道すべきは今回のテロ事件の原因、背景、今後予想される安全対策等であって、犠牲者の心情なり様子は、まずは彼らが落ち着いてそれなりの気持ちになってからでしょう。

人の顔が見え、肉声が聞こえる報道があって、暴力への怒りとか、政府の対応への疑問とか、とてつもない苦痛を味わった人への思いが具体的に湧く。」と書いているけれど、仮に今回の被害者の方の氏名が公表されても、そこから「あぁ、あの人」と分かるのはその方々の知り合いなり身内なりであり、自分のような面識の無い人間にとってはそのお名前も「匿名」であるわけです。でも、その情報を元に彼らにアクセスする第三者が増えるならば、それは被害者・関係者にとっては迷惑でしか無いわけです。そういう「エゴ」を正当化してしまう、こういうメデイアの論理・倫理には、本当に腹が立ちますね。

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